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萩原優治の「やっぱり、地球は円かった」

プロフィール

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名前:萩原優治
出身地:東京都世田谷区
趣味:登山、旅行、美術鑑賞、映画鑑賞、読書
一言:帰国をしてからも船友との集まりを企画し、楽しい日々を過ごしています。


ピースボートステーションパーソナリティー

  • 萩原優治の 「やっぱり地球は円かった」
  • GETスタッフの 「地球が舞台!グローバルコミュニケーション」
  • 石丸健作の「地球で遊ぶ、地球で学ぶ」
  • 恩田夏絵の「グローバルスクール日記です」
  • 伊藤千尋の 「世界は元気だ」
  • 美幸の「世界と海の上の日記」
  • 和志の 「世界一周旅だより」2
  • りょうの 「世界一周見聞録」
  • みっとしの 「地球散歩」
  • カメちゃんの 「地球通信」
  • ハナの「地球一周準備日記」
  • ちかの 「徒然、30才の地球一周たび日記」

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2012年01月16日

やっぱり円い、PB54回クルーズの輪&和。

・東京の萩原です。

昨日2012年1月5日(木)白昼堂々、飲み会があった。ピースボート「地球一周の船旅」54回クルーズ有志の新年会が開かれ、2006年10月末の下船以来、初めて会った人にも会うことができた。

静岡県浜松市在住の船友が所用で上京するのに合わせ、西新宿の巨大ビル地階の居酒屋に大集結。

折も折サラリーマン諸氏のランチタイム。焼き魚定食、刺身定食、鯖味噌煮定食、などをかっ食らうスーツ軍団の中を、遠慮がちに突き進んだ掘り炬燵式座敷に居並ぶ面々。横浜港帰航以来満5年ぶりに会った人にも、思わずニッコリ。これが、24時間×3か月半の船友の良さであろう。

ウィークデーの真っ昼間の宴会、ということで、中高年齢組ばかり、と思いきや、うら若きレディーも参加。聴けば、ミュージシャンという仕事柄、昼間は比較的空いている、とのこと。やはり、若い女子が一人いるだけで、宴が華やぐ(笑)のは、世の習いか?

三々五々と集まり合計9人で宴も盛り上がった。昼に大酒を飲む、という疾しさ(笑)もどこへやら。久し振りの近況報告の大半は東日本大震災へのボランティア活動。さすがはピースボート船旅OB&OGと感心した。

新年会終了後は、お互いに別れ難く、至近の喫茶店に座を移し、暫しの懐旧談義的二次会と相成った次第。この二次会終了間際には、ピースボート本部スタッフのA.Sさんも駆けつけてくれて感激もひとしお。

私は頼まれての講演会などで、ピースボート「地球一周の船旅」での船内生活を紹介する折には、必ず話すキーコメントがある。それは「国籍も、性別も、学歴も、職業も、年齢も、関係なくつきあえるのは、私の知る限り、ピースボートとキリスト教会だけ」という信条である。

今回の新年会で、久し振りに、自分の信条を憶い出した次第である。ピースボートの輪&和、サイコー!(矢沢永吉風)

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2011年12月16日

中防見学に行ってきた。

●東京の萩原です。

先週半ばに、東京港中央防波堤見学ツアーに参加した。私が代表を務めている地域の中高年齢者学習グループのメンバー30人強を引率しての海上遠足(笑)でした。

JR浜松町駅に集合後、徒歩10分ほどの竹芝埠頭に到着。待つこと15分ほどで東京都港湾局所属の視察船が着岸。その名も新東京丸という立派なまっ白い中型船だった。

約2時間に渡る港内クルーズでは、引退した元船長氏が懇切に案内放送をしてくれ、浚渫の重要さが理解できた。また、新海面埋め立て処分場水域も海上から視察できた。

出航した竹芝埠頭に帰航後は、待機していた観光バスに乗車。テレコムセンターにてランチ。昼食後、再びバスに乗車し、東京23区粗大ゴミ粉砕処理施設や廃棄物処理施設、清掃工場などを見学した。匂いも無く綺麗な印象。

見学ツアーの最後には、東京都環境局中防合同庁舎会議室にて、東京23区清掃事業の記録映像を観て、レクチャーを受けた。ゴミ対策の重要さが実感でき有意義な機会だった。

折から、東京都小金井市では、前市長が、周辺市町村に委託しているゴミ処理費用を「無駄な費用」と発言した結果として、辞任に追い込まれた。前市長の発言に反発した周辺市町村が小金井市のゴミの受け入れを断固として拒否したからである。

この事例でも明白なように、ゴミ対策は自治体行政の最後の、かつ最も難しい問題である。今後も学習を続ける心算である。

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2011年11月17日

代田・九条の会「3周年のつどい」に参加した。

・東京の萩原です。

11月3日(木・祝)、下北沢駅至近の日本キリスト教団 東京都民教会にて開催された「代田・九条の会」主催の『3周年記念のつどい』に出席した。

11月3日は、現在は「文化の日」と称されている国民の祝日だが、もともと、現行の日本国憲法が公布された日(施行は翌年5月3日)なのだから、憲法関連行事が行われるのには、大きな意義がある、と思う。〈閑話休題〉

今回のプログラム中の"目玉"の一つが世田谷区長・保坂展人さんの登壇。元来が市民活動家/ジャーナリスト出身で、日本社会党所属衆議院議員であった方。今年の統一地方選挙直前に発生した東日本大震災への地方自治体側の対応の鈍さに憤激して突如立候補し、世田谷区長に当選した快男児。

地方自治体の首長として何ができるのか、原子力発電所への対応も含めて、かなり明確な講演だった。私は、質問タイムの冒頭に立ち、ピースボート「地球一周の船旅」で寄港したカナリア諸島ラスパルマスにある世界で唯一の「ヒロシマ・ナガサキ広場」を例に引き、世田谷公園内に建立されている「世田谷区世界平和都市宣言碑」に倣った「護憲宣言碑」の設立に言及したが、残念ながら言質はとれなかった。保坂区長も政治家だから、仕方ないかな。

佐藤真子さんによるピアノ弾き歌い(笑)は、絶唱ともいうべきすばらしさ。特に、故・美空ひばりの広島歌謡祭グランプリ受賞曲「一本のエンピツ」とその姉妹曲とも言うべき「8月5日の夜」には、感動の拍手が鳴りやまない。また、我が国の反戦歌・厭戦歌の原点とも称されている歌人・与謝野晶子の詩を謳った「君死にたまふことなかれ」の詠唱には落涙する人が続出した。

最後に演壇に立った小倉志郎さんは「私たちは原発と共存できない」という演題の講演をしてくれた。ドイツが原発廃止を国会議決をした事実に触れ、「このことは、将来に渡って、ドイツ国家が原爆を開発・所有しない、という宣言なんです」と結ばれたのが印象的であった。ただ、惜しむらくは、小倉氏が元・原発技術者ゆえに、話が細部に渡り過ぎるきらいがあった。

憲法九条を考えたり、反原発を語れたのは、気分の良い秋の午後であった。

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2011年10月07日

六本木の赤ひげ。

東京の萩原です。

仕事のための参考書籍を探しに行った国会図書館で、面白い本を見つけた。飯島一孝・著「六本木の赤ひげ」(集英社刊)。

東京・六本木交差点から外苑東通りを東京タワーの方に向かい、飯倉片町で首都高速道路の下をくぐりぬけた麻布台と呼ばれる辺りに、異国で病気になった外国人たちを半世紀以上に渡って救ってきた診療所がある。

この「インターナショナルクリニック」院長であるエフゲーニー・ニコラエビッチ・アクショーノフ先生は、1948年に慈恵会医科大学を卒業し、3年後に医師国家試験に合格、1958年に同診療所を開院している。

彼自身、英語、日本語、ロシア語、中国語、ギリシャ語を自由に操り、看護師たちも全員が数か国語をこなすので、訪れる患者たちとの意思の疎通には問題が無い。

日本の医大に学び、日本で医師資格を取得しているので、日本の医療機関との連携もしっかりとできる。第二次世界大戦敗戦後に、外国語を理解できる医師が少なかった東京で、アクショーノフ先生の存在は、口コミで、実績で、確実に拡がり、各国大公使館や外人客の多いホテルから、非常に頼りにされてきた。

彼の治療を受けて助かった著名人には、ジョン・ウェイン、ライシャワー元米大使、シラク元仏大統領、マドンナ、マイケル・ジャクソン等々、枚挙にいとまがないほどである。

映画「黒船」撮影のために、静岡県下田市に来ていたジョン・ウェイン本人からの電話にて「私はジョン・ウェインだ」と言われて、アクショーノフ先生は、咄嗟に、変な外人からのイタズラ電話かと思い「私はナポレオンだ」と答えた、という誠に楽しい逸話には、大笑いさせられた。

この診療所では、支払い能力の無い患者でも、取り敢えず無料で治療をしたり、更には大病院への転院費用を立て替えたりして助けている。このため"六本木の赤ひげ"と呼ばれている。

同診療所では、診療に際しても、パスポートや外国人登録証の提示を求めないので、不法滞在やオーバーステイの外人たちが怯えずに、親切な医療を受けることができる。

来年には、なんと米寿を迎える老ドクターの、長年の医療人生に、心からの大拍手を送りたい。

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2011年09月12日

アンデス聖地巡礼に明日の光を視た。

・東京の萩原です。

去る9月6日(火)20時からのNHK BSプレミアム『旅のチカラ・アンデス 星と雪の巡礼/写真家・桃井和馬』放送を、家族とともに観た。感動と涙滂沱の1時間であった。

大学山岳部出身の私でさえ、できたら回避したくなるような、標高5,000m超で、氷点下10℃の過酷なアンデス氷河。キリスト教カトリックと先住民土着宗教が混交した、摩訶不思議な宗教世界が広がる。電気の無い石造りの家で、アルパカ糞を燃やして暖を摂る。

つい先年、クモ膜下出血にて、41歳の若さで急逝した綾子夫人を偲んで落涙する桃井和馬さんの姿に、葬儀列席時を思い出して、私も思わずもらい泣きしてしまった。残された一人娘の希生さんが、悔いのない高校生活を送れることを、名の如く望みたい。

1歩、また1歩、と急斜面を登攀する49歳の桃井和馬さんが、「歩き続けるしかないんだ。歩いているうちに視えてくるものがあるんだ」と独白する姿に感激し、明日の光を視た。

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