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萩原優治の「やっぱり、地球は円かった」

プロフィール

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名前:萩原優治
出身地:東京都世田谷区
趣味:登山、旅行、美術鑑賞、映画鑑賞、読書
一言:帰国をしてからも船友との集まりを企画し、楽しい日々を過ごしています。


ピースボートステーションパーソナリティー

  • 萩原優治の 「やっぱり地球は円かった」
  • GETスタッフの 「地球が舞台!グローバルコミュニケーション」
  • 石丸健作の「地球で遊ぶ、地球で学ぶ」
  • 恩田夏絵の「グローバルスクール日記です」
  • 伊藤千尋の 「世界は元気だ」
  • 美幸の「世界と海の上の日記」
  • 和志の 「世界一周旅だより」2
  • りょうの 「世界一周見聞録」
  • みっとしの 「地球散歩」
  • カメちゃんの 「地球通信」
  • ハナの「地球一周準備日記」
  • ちかの 「徒然、30才の地球一周たび日記」

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2011年08月02日

やっぱり、ニッポンではなく、ニホンだ。

●東京の萩原です。


やっぱり、ニッポンではなく、ニホンだ。


今朝のニュースで「なでしこジャパン」のチーム全員に国民栄誉賞が授与されることが決定、とあった。今までは個人対象だったので、団体対象は初めての快挙、とのこと。心からおめでとう、と言いたい。

しかし、女子サッカー・ワールドカップに限らず、国際的な対外試合での「ニッポン!ニッポン!」のコールには、大いなる違和感を覚える。まるで、戦争体験のある方々から聴く「大日本帝国」を彷彿させられるのは、独り私だけではないだろう。詩人として名高い西條八十氏もその一人だったようだ。

詩人・西條八十は、大衆の心に寄り添う、大衆を元気づける流行歌を書くことを自分の仕事と決めて数多くの傑作、ヒット曲を生み出したことは、かなり知られている事実であろう。第二次世界大戦中も、前線で戦っている兵士や銃後の守りとして協力し合っている一般市民たちの国を愛する気持ちに寄り添い、励ますために数多くの軍歌や愛国歌謡を作詞した。しかし、戦争末期になり、教え子たちを学徒出陣で送り出す頃になると、自分のしてきたことへの疑問や後悔の念が胸の中に高まってきた。

敗戦後、東宝が石坂洋次郎原作の青春小説『青い山脈』を映画化するにあたり、主題歌の作詞を西條八十に依頼してきた。小説を読んだ西條は、田舎の高校の古い体質と若い教師や生徒たちの新しい感覚に、これまでの軍国主義と(まだ良く解らないけれど)民主主義と呼ばれるものの対比を感じ、「古い上着よ さようなら」というフレーズが浮かんだそうだ。
同じように「雪崩は消える 花も咲く」にも軍国主義の圧迫が消えた喜びを表している。さらに、荒廃した焼け跡からの復興を祈って「雨に濡れてる焼け跡の 名も無い花もふり仰ぐ」と歌い、4番で戦争で親を失った人たちに捧げて、「父も夢見た 母も見た」と父母が果たせなかった夢を若い世代が引き継いで行くことへの希望を書いたわけである。

この詞を書いて、敗戦で悲嘆のどん底にある大衆を元気づけることが、西條八十にとっては、戦時中に不本意な作詞をさせられてきたことへの「落とし前」をつけることだったようだ。

その他、数々のヒット曲の作詞の裏話が書かれている『流行歌(はやりうた)西條八十物語』(ちくま文庫)は仕事の合間や外出の行き帰りに読むのに最適であった。

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2011年07月14日

やっぱり、倫敦は霧だった。

・東京の萩原です。

私たち夫婦は、先月半ばから下旬にかけて英国縦断旅行に出かけた。

成田空港からロンドン・ヒースロー空港までのエアラインは、何かと話題のヴァージンアトランティック航空。世界航空業界の風雲児と呼ばれるサー・リチャード・ブランソンが創業し、航空革命を起こしたと言われている、イギリスを代表する注目のエアラインなのである。

ヒースロー空港で国内航空にトランジットし、スコットランドの古都であるエジンバラへ。将来において、イギリス自体がアメリカのような合衆国制になったら、スコットランドの州都になると言われているエジンバラは、古城を中心の静かな街並。気温が低くダウン着用者も。

イギリスを代表する詩人・ワーズワースを生んだ湖水地方を巡ったり、ピーター・ラビットの世界を描いたビアトリクス・ポターの遺物にも出会った。古今東西、演劇界に最も影響を与え続けているウィリアム・シェイクスピアが生誕し、永眠した地・ストラトフォード・アポン・エイボンは、長閑な農村。シェイクスピアが洗礼を受け、葬儀を執り行った教会も田園風景の中に屹立していた。リバプールで見物したビートルズがデビューしたクラブとの対比が面白く、この国の深みか。

ロンドンに戻ってから、今回のお目当ての一つでもある大英博物館へ。単に"THE MUSEUM"だけで全世界に通用する博物館中の博物館である。収蔵品数700万点余。月替わりで公開するのが1/100の7万点だとか。全収蔵品目を丁寧に観ようと思ったら、一体全体、何年間かかるやら。 イギリスでは公共博物館も美術館も入場無料。日本とは文化度が違う。

ピースボート54回クルーズの船友である船内呼称パステルこと長鋪麗香さんとはピカデリーサーカスにて落ち合い、一緒にパブランチ。その後、世界最古と称さる地下鉄~市民の足2階建てバス~テムズ川クルーズ船~背高のタクシーと、公共交通機関尽しの半日観光を一緒。

現地留学中のパステルの言によれば、日本の梅雨期ほど明確ではないらしいが、この時期のロンドンは雨が降りやすく、うすら寒いようだ。イングランド民謡にも歌われている有名な霧にも出会うことができた。

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2011年06月06日

やっぱり円い、友人の輪。

東京の萩原です。
文学や映画の評論家としてつとに名高い川本三郎氏とは中学・高校6年間の同期生なので、休日というと、当時唯一の娯楽であった映画を一緒に観ていた。

この川本三郎氏が自身の体験を綴った回想録的作品である「マイ・バック・ページ」を原作とした同名の映画が公開されているので、上映初日に観に行った。

1960年代末~1970年代初頭、我が国では若者たちが既成権力に対して異議申し立ての闘いを挑んでいた。東大・安田講堂の陥落により全共闘運動が終焉した。

京浜安保共闘や日本赤軍による浅間山荘事件に至る前哨戦的時代相でもあり、私自身も社会部記者として駆け回っており、混沌たる社会を走り回っていた。

そんな騒然たる熱い季節に、ジャーナリストたらんとする青年記者(川本三郎氏自身がモデル)が、取材源秘匿という大原則モラルと新聞社特有の組織論的判断の狭間で心が揺れる。実際におこった朝霞駐屯地での自衛官刺殺事件を巡る人間模様が描かれる。

映画ラスト近く、退社処分後で傷心状態の主人公を、偶然出会った昔馴染みの焼鳥屋主人が慰めるシーンが泣かせる。妻夫木聡が泣く姿を観て、私も泣いた。

この映画化を肴に、久し振りで、かつてのライバル記者・川本三郎君と一献傾けたいと思っている次第。

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2011年04月28日

街頭募金体験記

東日本大震災の被害状況報道には、声を失う。私は生来のおっちょこちょいなので、救援のボランティア部隊を結成し、先頭に立って行きたい心をぐっと抑え、街頭募金を実施した。

大手マスコミを中心に、たくさんの団体等が救援募金活動を展開している。当然のことながら、「何をいまさら」という声があることは、百も承知の上で、日本キリスト教団三軒茶屋教会の会員たちと三軒茶屋にて街頭に立った。

急拵えの企画だったので、私が責任者を務めている同教会の広報部員を中心に人集めした。

3月26日(土)と27日(日)の両日、延べ25人で声を張り上げたが、6歳の女児の"集金力"がダントツ1位。映画界等で言われているが、まさに"子どもと動物には勝てない"である。

地震発生から2週間余だったので、若干関心が薄れたのか、募金協力者が少ないのが現実。 しかし、私たちが思わず感激したのは、外見的には"チャラ男"と呼ばれるタイプの若者たちや鮮やかな茶髪の女子たちが、進んで募金に協力してくれたシーンが多くあったこと。

2日間で集めた募金全額は、当然のことながら、翌週の始めには日本赤十字社に送金完了した。

もしも、このブログ読者の中に、当日募金にご協力いただいた方がおられましたら、改めて厚く御礼を申しあげます。深謝いたします。

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2011年03月10日

やっぱり、冬の北海道は寒かった。

東京の萩原です。

我が家の書斎から窓外を見ると、雪が降っている。東京の降雪は断然2月以降が多く、4月にも降る。

東京でもこんなに寒いのに、先月下旬にわざわざ厳寒の北海道に行ってきた。嘘偽りなく寒かった。

この季節に北海道を旅する主目的は、今や全国区になった感のある「旭山動物園」と「オホーツク海の流氷群」見物、という極めて俗人的興味に尽きる。

見ました!ペンギンの雪中行進!やっぱり可愛い!

ペンギン飼育担当者の説明では、自由意志参加だそうで、当日の参加者(笑)数は17頭(?)だとか。ペンギン全体の2分の1強。中には、私のようなおっちょこちょいがいて、雪の上を滑って見せる。観客からの拍手で、またもスライディングをする。

結婚式の新郎よろしく燕尾服(笑)に身を固めた成人(?)ペンギンに交じって乳児と幼児も歩いてた。乳児は薄茶色のフワフワした産毛に覆われており、まるで縫いぐるみ風。幼児は産毛と燕尾服風とが入り混じった複雑な色合いで、美しくはなかった。

また、北極熊やアザラシの生態観察もすることができた。オランウータンやチンパンジーのファミリーたちは、寒さのためか、若干動きが鈍かった。

お目当ての二つ目である「オホーツク海の流氷群」見物には、網走港から砕氷船「おーろら号」に乗船。

船室内は暖房が利いていて暖かいが、船腹デッキや甲板上は、物凄くしんばれる。若干の波飛沫も浴びたが、大きな流氷に出会った時は、感動した。遥かアムール川から、どでかい氷塊が流れて来る、という自然の摂理には、人知を超える力を感じた。

北海道経済は疲弊し離職率や離婚率も最低レベルであると、認識している。このような中にあって、厳寒の劣悪状況を逆手に取った観光誘致策を創出したアイディアには、全面的なエールを送りたい。

帰途、札幌で、新聞記者時代の仲間である北海道新聞社の経営幹部に、短時間だが会った。道産子である彼の言によると、今や冬の北海道観光旅行企画に旭山動物園が入らない企画を探すのが困難であるそうである。一過性ブームに終わらないで。

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