2010年03月08日
3月7日、東京・新宿の歌声喫茶「ともしび」で講演をしました。
タイトルは「闘いの中に歌があった」です。
これまで取材する中で感じてきたのは、社会の変革があるときには人々から歌が生まれたことでした。今回は
1.「赤とんぼ」
2.「神田川」
3.「歓喜の歌」
4.「We Shall Overcome」
の4曲について、歌ができたいきさつを話しました。
「赤とんぼ」の歌詞を書いた三木露風は5歳のときに親が離婚し、母親と引き離されて育ちました。12歳でつくった俳句が「赤とんぼ とまっているよ 竿の先」で、これがそのまま童謡の4番に入れられています。離婚した母はやがて日本の婦人参政権運動の旗手となり雑誌『女権』を発行して女性の権利の拡張のために人生を捧げました。母が亡くなったとき、露風はその遺体のそばで一晩添い寝し、5歳のときからの願望をかなえたのです。
「神田川」は、一見、女性が自分の学生時代を回想して歌うという内容に見えます。この歌が出来た当時、「軟弱な4畳半フォーク」といわれましたが、実は「男性の側から見た闘う歌」なのです。歌詞を書いたのは喜多條忠氏、作曲は歌手の南こうせつ氏ですが、作詞から作曲の完成までわずか1時間でした。歌詞の最後の「ただ、あなたのやさしさがこわかった」という部分はあとから付け加えられたのです。「何もこわくなかった」若者のころに何かこわいものはなかったかと喜多條氏が考えたときに、思い浮かんだのが「デモから帰宅したときに見た、同棲していた3畳間でカレーライスをつくる彼女の後ろ姿だったこと」でした。それを見たときに甘美な日常に浸っていては自分の存在証明はできないと彼は考えて、敢えて「闘う人生」を選んだのでした。それまでずっと女性が主語のこの歌は、最後の1行だけは主語が男性の側なのです。
「歓喜の歌」の詩を書いたのはドイツの詩人シラーです。彼は封建制に刃向かう戯曲を書いたため領主と対立して放浪するはめになりました。その中でようやく理解者を得た悦びからこの歌詞が生まれました。それが当時の若者に熱狂的に迎えられ、若きベートーベンもこの詩による作曲を決意し、それが30年後に実現したのです。今やこの歌は解放の悦びを歌う歌として世界で歌われ、1980年代の南米チリの反軍政民主化運動の高まりの中で抵抗のシンボルの歌となりました。1989年の東欧革命のさいにはチェコの革命勝利集会でも歌われました。日本で始めて演奏されたのは第一次大戦のさいで、日本軍の捕虜となったドイツ兵の合奏団が徳島の収容所で演奏したことです。それが日本の年末の恒例の歌となったいきさつ・・・などを話しました。
最後の「We Shall Overcome」は米国の黒人公民権運動が高まる中で歌い継がれた曲です。
まあ、こんなことを2時間かけて話しました。
話の前後に会場の約60人の人といっしょにその歌を歌いました。歌は、できたいきさつや込められた意味を知るといっそう感銘するものがあるようで、講演する前とあとでは、みんさんの歌の力も違っていました。
この6月にはピースボートに乗るつもりですが、そのさいには船上でもこうした講座を持とうかと考えています。歌が好きな方はご期待ください。
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2010年03月01日
1999年にピースボートに乗った長崎の漫画家、西岡由香さんが今日、2月27日に新作『八月九日のサンタクロース-長崎原爆と被爆者』を出版されました。全国同時発売です。原爆マンガとしては第二弾になります。
ピースボートの旅がきっかけとなって社会に発信する漫画家になろうと志し、長崎原爆をテーマとした『夏の残像-ナガサキの八月九日』を出したのが2年前。「週刊金曜日」や地元の長崎新聞に4コマ漫画を連載するかたわら、長崎大学や佐賀大学の非常勤講師も務めつつ、毎年8月の長崎市の平和宣言の草案づくりにもかかわっています。
今回のテーマは「継承」です。被爆者の平均年齢が70歳を越え、被爆体験の継承が待ったなしとなった今、自分が被爆者に代わって伝える立場になろうという意気込みが見えます。漫画だけでなく、原爆についての解説文やエッセイも入っています。
ストーリーは、東京から長崎に引っ越してきた中学2年の女の子を主人公に、原爆について何も知らなかった彼女が新聞部で被爆者とかかわっているうちに成長するというもの。「被爆者は8月9日にやってきたサンタクロースなんだ」だと・・・。
原爆漫画といえば、代表作は広島で被爆した少年を描いた『はだしのゲン』ですね。あの絵を見ると、原爆のすさまじさ、怖さが伝わってきます。しかし、西岡さんは「原爆はこわい」という壁を取り払い、だれもが原爆について知ろうとし、核兵器をなくす動きに結実してほしいと考えています。「知は力なんだ」ということが、この作品から伝わってきます。西岡さんは言います。「このマンガにこめた願いがある」と。それは「実際に被爆者に会ってほしい」という願いだそうです。「目の前で涙を流しながら語る被爆者を前にしたら、もうそこには理屈なんてありません。『何かしなければ!』。私もそんな思いに突き動かされた一人でした。高齢化した被爆者と会える時間はどんどん少なくなっていきます。今なら間に合います。私が被爆者からもらった一番大きなメッセージは、『生きろ』ということでした。想像を絶する体験をしてきた被爆者と会うことで、誰もがそのメッセージを心のどこかに刻印されるのだと思うのです」
出版元は凱風社。HPを見てください。
www.gaifu.co.jp/books/ISBN978-4-7736-3403-7.html
同じ船に乗った仲間が、こうやって社会に大きく羽ばたいているのだと知ることはうれしいことです。何よりも、西岡さん、あなた自身がしっかり自分を「生きている」ことを実感させてくれる作品になりました。おめでとう!
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2010年02月16日
今日、新宿の居酒屋でいっしょに飲んだ中に、なんと第2回エッセイ大賞の次点の受賞者がいました。去年の第63回クルーズに乗った三木達也君(25歳)。初めての海外旅行であるカンボジアに行った経験を書いたのです。大賞なら世界1周が無料だけど、次点でも半分が無料になったのです。つまり約60万円分をゲットしたわけだね。
彼は会社員をやめて船に乗ったのだけど、船を下りて1週間後、トークなどのイベント開催で名高い新宿のロフトに就職していました。なぜ、そんなにスイスイと新しい働き口が見つかったかというと、乗船中に知り合った人から声をかけられたというから驚きじゃないか。船に乗る前の仕事は「ずっと働く場所ではない」と思っていたからやめたのでした、今の仕事はイベントを企画・制作するもので、とってもやりがいを感じている様子が表情からありありだった。しかも、仕事として企画しているプロジェクトに、桃井和馬や田中優といったピースボートの水先案内人を起用しているのです。ピースボートの効用を最大に利用している・・・と思ったら、それだけではなかった。なんと、彼女も、ピースボート乗船中に見つけていた!その彼女である「まっつ」さんが途中から加わり、おおいに盛り上がりました。おいおい三木くん、キミは高田馬場に足を向けて寝られないぞよ。さらに、その居酒屋で飲み物を運んできたのが、同じクルーズの乗船者である「はじめちゃん」。彼は、仕事をなくしたあと、同じ乗船者の「かもしー」さんの勧誘でこの居酒屋で職を見つけたというのです。うーむ、ピースボートってすごい効果があるのだなあ・・・。
飲み終えて勘定を頼んだら、なんと2割引になっていました。「はじめちゃん」ありがとう!ピースボートの効果は具体的かつ実用的だということが、よくわかった。で、何の飲み会だったかというと・・・むふふ、これが実はメチャ面白い計画なのだよ (その内容は・・・次次次号で明らかになるでしょう)
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2010年02月13日
どんな作品が大賞に選ばれるのか、という質問をメエさんからいただいちゃいました。
メエさんも応募しようとしたけれど、「取り立ててコレといった経験」がないので書けなかったようです。「想いだけじゃ難しいんでしょうか?」とメエさんは問います。いや、メエさん、僕はその「想い」を聴きたいんだよ。
前に、おばあちゃんを温泉旅行に連れ出した体験を書いた女性がいました。大賞ではないけど、次点に選びました。同じとき、平和活動や海外での経験を語った人もたくさんいたけれど、僕は彼女の話に惹かれました。おばあちゃんを温泉に連れ出したって・・・ほかの応募者の海外経験に比べたら、取り立てていうほどの経験じゃない。でも、僕がそこに見たのは彼女の行動力です。何かしたいと想って、それを実行する力です。
平和を語るとき、なにも国家や世界の話をする必要はない。僕は一人一人の人間が穏やかに暮らせる社会が平和な社会だと思っています。世界の平和を考える国連事務総長も、おばあちゃんのことを考える彼女も、同等の地平に立っています。
では、なぜ彼女の作品は次点止まりで大賞にならなかったのでしょうか? そのときに大賞に選んだのは、広島に行き被爆者と会って涙を流したことから改めて原爆を調べ直した女性でした。自分の「涙の理由」を考え、世界を愛するために世界を知りたいという明確な目的を持って自らを行動に駆り立てた方です。自ら足を運んで現場に行き、そこで感動した、あるいは考えたことから新たな一歩に踏み出すという行為を具体的に行った人です。
僕は、次点の方には、ぜひ自分で金を稼いで、ピースボートにも乗って欲しいと思いました。でも、大賞の方には、ピースボート側から金を出してでも、今すぐ乗って欲しいと思いました。一人の人間から世界が見えます。そこを明確に意識し、踏み出す意欲を持ち、実行に踏移すかどうか、ですね。
僕がどんな人を大賞に選ぶのか。もう一度整理してみましょう。第一に大切なのは、この人をぜひとも船に乗せて世界一周させたい、と僕が思うかどうか、ってことです。何も作品の文章や経験だけがすばらしいから選んでいるのではありません。つまり作品の「出来」は、まあ、どうでもいいのです。だって芥川賞の文学作品を選んでいるわけではありませんから。それよりも、この人がピースボートに乗って世界を見て周り世界の人と交流したら、その人自身の人生に大きく役立つし、さらによりよい社会を築くことにつながっていくだろうなあ、と思わせるような人を乗せたいのです。作品の中に浮かぶ、その人の情熱と実行力を見ているのです。情熱といいましたが、自分が何か新しい経験をしたい、というだけなら、自分でアルバイトして金を貯めてピースボートに乗ればいい。そんなアルバイトに注ぐような時間がもったいない、あなたはぜひ、船に今すぐ乗ってほしいと僕を思わせるような内容を期待しているのです。
第二に大切なのは、100万円もする世界1周のプレゼントに値するかどうか、ってことです。ピースボートに乗る多くの若者たちは、ポスター貼りのボランティアをしたり、1年以上かけて居酒屋で深夜まで働いたりして乗船の費用を自分で稼いでいます。この賞は、いわば、薄っぺらい紙に2、3枚ほど文を書くだけでそれをゲットしようという「虫のいい話」です。だったら、ほかのみなさんの1年の労働、努力に見合うほどのものでないと、選ばれるわけがないじゃないですか。 文の中に必死の思いが見えるかどうかです。甘さが見えたら、どんなにすごい経験をしてる人でも、すぐに「ダメ」って思っちゃいます。甘さは、文章から透けて見えますよ。
メエさん、人間、だれしも生きて来た以上、さまざまな経験をしています。自分の人生をもういちど振り返ってみてください。「取り立ててコレといった経験」があったかもしれない。 なければ、これからやればいい。
期待しています!
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2010年02月04日
知ってる?
不況で景気のよくない話ばかり多いけれど、ピースボートには太っ腹な企画があるのだよ。「旅と平和」エッセイ大賞の募集が、それ。旅と平和について自分の体験や考えを書いて応募すればいい。「大賞」に選ばれたら、なんと世界1周の船旅がプレゼントされるのだ!短いエッセイを書くだけで100万円もする世界1周が手に入るとは・・・今どき驚きじゃないか。
で、応募された作品からだれが大賞を選ぶかというと、選考委員長はルポライターの鎌田慧さん。
そして小生は選考委員なのだよ。
先日、昨年度の募集の「大賞」授賞式が東京のピースボート本部で行われた。受賞したのは、19歳の短大生、大山みちるさん。テーマは 『あの日の「ありがとう」』だ。
彼女は小学生時代に広島の原爆資料館を訪れたとき、「アメリカが悪い」と思った。でも、身近なアメリカ人は良い人だ。そのギャップを探ろうと、高校生のときアメリカに留学した。パールハーバー攻撃についてどう思うかを正直に書いて学校側から問題視され、韓国系のホストファミリーからも朝鮮半島で日本が行った非道を指摘された。ここまでは、留学した日本人がよく経験することだ。
しかし、そのとき大山さんは「何も知らない」自分に気付いた。それからは韓国語も学び、歴史の真実を知る努力をした。辛い思いをし、それに正面から立ち向かったのだ。私は、その点を評価して大賞に選んだ。選考委員長の鎌田さんも同じ意見だった。
知らないと気づいたときに、正面から立ち向かうことで人は成長する。こんなとき、多くの人は安易な道を選びがちだ。「原爆を落としたくせに、なんだ」と開き直り、国粋主義者になる日本人がいかに多いことか。教科書問題で戦前の日本をたたえる教科書を作ろうとした人の中心には、そのようなアメリカ留学組がいた。南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃に尽くしたネルソン・マンデラは、知性を「政治家の言葉をうのみにせず、知的好奇心をもって自ら真実に迫ることだ」と定義した。大山さんは、まさしくその道を歩んでいる。
授賞式に出た大山さんは女子短大生だった。大手航空会社の客室乗務員に合格したが、それを辞退してさっそく次の世界1周の船に乗るという。周囲からは「就職をけるなんて、もったいない」と止められたが、こちらの方が自分の人生のためになるという選択をしたという。うーむ、いいじゃないか。
今年度のエッセイ大賞の募集も始まった。ぜひ、みなさんも応募してほしい。この賞も回を重ねて、今回で6回目になる。回を増すごとに実力のある応募者が着実に増えている。大賞の受賞は難関だが、なにせご褒美は世界1周。努力に値するだろう。
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