PEACE BOAT 地球一周の船旅

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第86回クルーズレポート

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Life Onboard

69年前、ヒロシマ・ナガサキでおきたこと

ブロードウェイラウンジ

2014年12月29日

69年前の8月、広島・長崎に相次いで投下された原子爆弾。広島で約14万人、長崎では約7万人もの命が一瞬にして奪われました。奇跡的に一命を取り留めた人々も、多くが後遺症を抱え、原爆による死者は広島・長崎あわせて44万人以上と言われています。本日の企画に登壇したのは、広島での被爆経験を持つ参加者の田中稔子さん(76)。69年前、7歳で被爆した田中さんに、「その瞬間」の、そしてその後の日々を語っていただきました。

「あの朝、8時15分、学校に行く途中でした。『敵機だ!』の声に空を見上げた瞬間、写真のストロボを何千と集めたようなものすごい光が襲いました。とっさに右腕で顔を覆いました。熱線は頭と首の左後ろ、右腕を焼きました。辺りは暗闇のように真っ暗に。爆風で舞い上がった砂埃が太陽を隠したのです。遠くにいた人にはそれがキノコ雲に見えたそう。私はその下にいました。口の中は砂埃でいっぱい。ジャリジャリした不気味な感触を今でも覚えています」

キノコ雲の下にいた――生々しい証言に会場は静まりかえります。田中さんの周囲ではその後も、白血病などで多くの人々が亡くなりました。「原爆の子の像」で知られる佐々木貞子さんは田中さんの4歳下で、同じ中学の後輩にあたる方だったそう。「何百、何千もの人々がサダコと同じ症状で亡くなったのです」

続いて登壇したのは多賀俊介さん。ご自身も被爆2世にあたり、原爆の問題について取り組んできました。「上空約600m、核分裂で生まれた火球の中心部は100万度を超えました。人間がいた爆心地の地表温度は3000~4000度。想像できますか?」 あまりのことに想像することすら難しい――それが現実にあった、そのことに恐怖を覚えます。

広島で反核の活動を続ける、スタッフの安彦恵里香。長崎に投下されたプルトニウム原爆についてマイクをとります。スクリーンに投影されたのは、原爆投下の時間・11時2分で止まった時計。「この時間を覚えていてください」長崎原爆の特徴や被害について語りました。

最後に田中さんが再びマイクを取り、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN = Internationan Campaign Abolishment Nuclear Weapon)や、国連の取り組みなど、国際社会における非核への動きについて触れます。
「1日も早く、核兵器禁止条約が誕生することを願います。私はヒバクシャとして、もぅヒバクシャは作って欲しくないんです。核兵器はもちろん、“平和利用”であっても認められません」そして、会場を見渡しこう続けます。「皆さんに、特に若い方にお願いがあります。これから世界に親しい友人を作ってください。国籍や人種を越えて、その“違い”を認め、共存する道を選んで欲しい」田中さんの言葉を受け取り、多くを学び考える大切な講座となりました。

※参考:
IICAN = International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (英語)
核兵器廃絶国際キャンペーンについて(日本語解説ページ)
核兵器廃絶日本NGO連絡会
ピースボート おりづるプロジェクト 「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」

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