PEACE BOAT 地球一周の船旅

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第86回クルーズレポート

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Life Onboard

Nikkeiってなに?-南米・日系移民の今と昔-

小木曽モニカさん(パンアメリカン日系人協会理事、通訳・翻訳家)/ブロードウェイラウンジ

2015年01月12日

洋上講座に登場したのは、ブエノスアイレス出身の日系2世、水先案内人の小木曽モニカさんです。アジア専門の旅行会社で旅行の作成・販売を担当。また各種メディアの南米取材・撮影のコーディネーターとしても活躍されており、TBS『THE 世界遺産』の南米取材などにも携わっています。こうした「旅のスペシャリスト」としてのお仕事と平行し、カナダからアルゼンチンまで、アメリカ全土にわたる日系人ネットワーク「パンアメリカン日系人協会」の理事も務めています。「日本とアルゼンチンの『心の架け橋』になりたい」という小木曽さん。今クルーズ第1回目となる今日の講座では、ご自身のご両親らの話題を交えながら、南米の「日系移民」の歴史やいまについてお話しいただきました。

19世紀半ばから始まった、日本人の海外移住。モニカさんの母国アルゼンチンでは、1980年に沖縄県のマキノキンゾウさんが渡ったことから、日系移民の歴史が始まりました。20世紀初頭には多くの人々が南米へ渡るようになり、各地に県人会や日本語学校を中心とする日系コミュニティが生まれます。モニカさんのお祖父さんもこの頃、日本からアルゼンチンに渡り花卉業を営んでいたそう。そして第二次大戦が、移民たちにとって一つの「転機」となります。戦争の影響から日系コミュニティにおける集会や日本語教育、新聞発行等が禁止され、日本人の財産は凍結されました。結果、日系移民たちは地元コミュニティにとけ込んでいくことになります。戦後、1960~70年代になると日系移民は農業のみならず専門職・技術職などにも進出。また1980年代には、南米から日本へと「出稼ぎ」へ来るケースが多くなりました。

日本から遠く南米へ――言葉も文化も異なる土地へ渡った人々はたいへんな苦労を重ね、新しい生活や産業を築いてきました。「“開拓者”が一生懸命に生きてくれたおかげで今があります。彼らが歩んだ道があるから、今の私がある」小木曽さんはこう語ります。
そして講座の最後にスクリーンに投影したのは、何も書かれていない真っ白いスライド。「この最後のスライドには、私たちが『これからのNIKKEI』を書き込んでいかなければなりません」こんな小木曽さんの言葉が印象的な講座となりました。

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