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第97回クルーズレポート

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Life Onboard

東ティモール独立への道

ジョセ・ラモス=ホルタ氏(東ティモール元大統領、1996年ノーベル平和賞受賞) / ブロードウェイラウンジ

2018年03月20日

R3203833@97.jpg撮影:水本俊也

東ティモール第2代大統領、第2代首相を務め、1996年に「東ティモールにおける紛争の正当で平和的な解決の尽力」が評価されノーベル平和賞を受賞した、ジョセ・ラモス=ホルタ氏に、東ティモール独立までの道のりなど、お話いただきます。「1975年、東ティモール独立のためにニューヨークにある国連本部へ行ってロビー活動をしました。このとき、帰るころには独立できると思っていました。」しかし、東ティモール独立の是非を問う住民投票が実施されたのは1999年、実に24年の歳月を必要としました。
 R3203855@97.jpg「東ティモールは、第二次世界大戦により多くの人が命を落とし、日本敗戦後も長くポルトガルの植民地でした。そんな中でも住民たちは独立に対して強い気持ちを持ち続けていました。」それ以外にも、インドネシアの政権交代やさまざまな国によるインドネシアへの助言などが、独立できた理由だと話すラモス=ホルタ氏。「独立した今、インドネシアとは良い国交を築けています。別々の国ですがビザは不要なので多くの移住者がいますし、両国に親族がいることもめずらしくありません。東ティモールの98パーセントはカトリック、インドネシアはイスラム教徒ですが、25年間続いた独立戦争の間、若者たちにはインドネシアを批判せず、尊敬の念を持つように教えてきました。その結果、このような関係が築けたのだと思います。」また、国際法廷を開かなかったことも理由のひとつと語ります。「わたしたちは、インドネシアとの和解を求めていました。それが今に繋がっています。」

S3208376@97.jpg2002年の独立時、政治や経済、医療面など、壊滅状態だったと言います。「医者は19名しかいませんでした。しかし自国での医者の育成はもちろん他国で多くの人が学んだことで、ひとつの村に最低1人は医者を置くことができています。」そのほか石油、天然ガスの輸出などで収入を得ることができ、それにより80パーセントの地域で電気の24時間使用が可能になったんだそう。 「みなさんも街を歩いていて気づいたかもしれませんが、東ティモールにはさまざまな国の人が暮らしています。これは、国交がうまくいっているからだと思います。みなさんもぜひ、東ティモールで家を買って事業を立ち上げてみてはいかがでしょうか。」そんなラモス=ホルタ氏の言葉に、大きな拍手が起こりました。

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