芸術と文化のスペイン-航海作家が選ぶ歴史航海-
何世紀にもわたる移民がもたらした文化の融合により、世界でも有数の芸術遺産を持つ魅力的な国、スペイン。数々の偉人たちの物語がこの地で交差し、優れた芸術作品がまた次の時代を作り出してきました。めくるめくスペイン芸術世界へ、航海作家・カナマルさんと繰り出します。
オーロラ観測チャンスや、地中海、南太平洋などをめぐる夏の世界一周クルーズの資料をお届けします[無料]
文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
カナマルトモヨシさん 公式ブログ
サン・ファン・バウティスタを追って
今から410年前の1613年。仙台藩主・伊達政宗の命を受け、支倉常長(1571~1621年)を大使とする慶長遣欧使節団を乗せた「サン・ファン・バウティスタ」号が月浦(現・宮城県石巻市)を出帆した。目指すは遥かイスパニア(スペイン)。スペイン領メキシコとの直接貿易実現が目的だった。この交易には2年前に起きた慶長大津波からの復興も期待されていたという。支倉たちは太平洋、さらに大西洋を横断し1614年にスペインに上陸。首都マドリードで国王フェリペ3世に謁見を果たす。それから約400年後の私たちも、ともにスペインへの歴史航海に乗り出すことにしよう。
ある日本人建築家とガウディのすれ違い
1926年、ひとりの日本人がバルセロナにやってきた。ヨーロッパの地下鉄駅の研究と早稲田大学から近代建築視察の依頼を受け、ソ連や欧州諸国を外遊していた建築家・今井兼次(1895~1987年)だ。彼はサグラダ・ファミリア聖堂の地下で高さ5~6mほどの巨大な完成模型を目撃。感銘を受け、アントニ・ガウディ(1852~1926年)とその建築作品を日本に紹介した。ガウディ研究の功績から1973年に今井は「スペイン賢者聖アルフォンソ10世市民賞」を贈られる。しかし彼はガウディに会うことはついになかった。今井がバルセロナに来た年に、路面電車にひかれて亡くなったためだ。
世にも恐ろしい建物、サグラダ・ファミリア
1936年、スペイン内戦が勃発。バルセロナもその戦場となり、サグラダ・ファミリアは国家や教会の権威を否定する無政府主義者たちの攻撃を受けた。聖堂地下に埋葬されていたガウディの墓は暴かれ、今井兼次が見た完成模型も破壊されてしまう。しかし聖堂の破壊は免れた。当時、義勇軍の志願兵としてバルセロナにいたのが英国の文学者ジョージ・オーウェル(1903~50年)。無政府主義者でさえその価値を認めたサグラダ・ファミリアを「モダンだが、世にも恐ろしい建物」と評した。彼のスペイン内戦参加の体験は、のちに全体主義国家への批判であるSF小説『1984年』執筆へとつながる。
名曲誕生はアルハンブラ宮殿の噴水から
10歳で「神童」と呼ばれるほどギター演奏に秀でた少年がいた。その若さで彼はバルセロナのカフェやレストランで演奏し、腕をさらに磨く。それがバレて父親に連れ戻されるが、13歳の時に家出。ロマの一団に加わるなど破天荒な10代を過ごした。中年になった彼がアルハンブラ宮殿を訪れたときのこと。中庭にあるライオンの噴水に気を止めた。あふれ出る水から同じ音を連続して小刻みに弾く演奏技法「トレモロ」をイメージ。そして、1896年にクラシックギター希代の名曲を書き上げる。それがフランシスコ・タレガ(1852~1909年)の『アルハンブラの思い出』である。
『モナリザ』盗難事件の、まさかの容疑者と真犯人
1881年にマラガで生まれ、ア・コルーニャ、バルセロナ、マドリッドとスペイン国内を渡り歩き、パリに腰を落ち着けたパブロ・ピカソ。そのピカソを厄災が襲った。1911年夏、ルーブル美術館からレオナルド・ダ・ヴィンチの名画『モナリザ』が盗まれた。その容疑者として逮捕されたのが、まだ無名の放浪画家・ピカソだったのだ。彼は泣き叫ぶなどして必死に冤罪を主張。のちに無罪が判明、1週間で釈放された。この2年後、真犯人が逮捕される。それはモナリザの展示用ガラスを取り付けたガラス工。従業員しか知らない小部屋に隠れ、犯行におよんだのだった。
Picasso’s Last Words (Drink to Me)
1973年、ポール・マッカートニーはジャマイカのモンテゴベイで休暇を取っていた。そこで映画『パピヨン』の撮影が行われており、彼は出演のダスティン・ホフマンに会う。ダスティンは元ビートルズの才能を試そうとしたのか、先日死去した人物の最期の言葉「Drink to me, drink to my health. You know I can’t drink any more.(私のために、私の健康のために飲んでくれ。私はもう飲めないんだ)」から曲を作ってほしいと提案。ポールはあっという間に曲を作り、ダスティンを驚かせた。この曲は同年発売されたアルバム『Band on the Run』に「ピカソの遺言」というタイトルで収録される。
『八十日間世界一周』著者が書くジブラルタルの小説
ジュール・ヴェルヌ(1828~1905年)はフランスの港町ナントで生まれた。港を訪れる船乗りたちの冒険話は少年の想像力をいたくかきたてた。そして11歳のとき、初恋の女性に珊瑚の首飾りを買うため、水夫見習いとして密かにインド行きの帆船に乗りこむ。だが途中で父に見つかり、頓挫。「もうこれからは、夢の中でしか旅行はしない」と決めたヴェルヌが45歳で著したのが『八十日間世界一周』である。世界一周クルーズでも通過するジブラルタルが舞台の短編小説『ジル・ブラルタール』を発表したのは還暦前。ジブラルタルを占領する英国に対する皮肉がたっぷり効いた作品だ。
「大地の終わり」に建つ世界最古の現役灯台
古代ローマ人はア・コルーニャに港をつくり、大西洋を一望する灯台「ヘラクレスの塔」を建てた。高さ55メートルはスペイン2位。そしてローマ帝国のものとして現存する唯一の灯台は、1791年に改修工事が行われたものの建築から2000年近いいまなお活躍する「世界最古の現役灯台」だ。ローマ人はア・コルーニャのあるガリシアを「大地の終わり」と呼び、海難事故が多かったことから後世の人は「死の海岸」と称した。しかし支倉常長らは、ヘラクレスの塔の先に広がる大西洋そして太平洋を再び越え、スペインから帰国した。月浦を出てから7年後の1620年のことだった。
この記事に関連する記事
この記事を読んだ方へのおすすめクルーズ
-
2833view
-
1006view
-
963view
この記事に関連する記事
この記事を読んだ方への
おすすめクルーズ
パンフレットをお届け!
今資料請求をいただいた皆さまには、世界一周クルーズがもっと楽しみになる情報が満載のパンフレットをお送りします。この機会にぜひ資料をご請求ください。