食べ歩きの旅から見えた世界史
ユーラシア大陸の西の果てポルトガルのリスボンから、北大西洋に浮かぶ島アイスランドのレイキャビク。地図を眺めただけでは見えてこない、この2国の間の共通点。航海作家カナマルトモヨシさんが旅をして見つけた”つながり”とは?
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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
カナマルトモヨシさん 公式ブログ
タラをめぐる船旅はリスボンから
1882年から営業しているというリスボンの老舗レストランで昼食をとった。王道のポルトガル料理が味わえると評判の店では、グラタンやミニコロッケなど「バカリャウ」の名を冠したメニューがズラリと並び、そのどれもが美味である。バカリャウ(スペイン語ではバカラオ)は、タラ(鱈)の塩漬けの干物、またはそれを用いた料理を指す。とくにポルトガル料理ではバカリャウをよく使い、そのレシピは1年分の365種をゆうに超えるほど存在するという。お腹が満足したところで、タラを追ってグルメと歴史のヨーロッパクルーズへと出かけてみよう。
バカリャウに見るバイキングと大航海時代
中世、北欧からヨーロッパ全土に大移動を行ったバイキング。塩を生産しない彼らは漁で獲ったタラを屋外で乾燥させ、それをボートに積み込んで運搬していた。いっぽう塩田から塩を大量に生産していたポルトガル人は、それを北欧諸国に売り、タラを輸入した。やがて大航海時代を迎え、ポルトガル人は保存性の高い干しダラが、長い航海中の食料に最適であることを発見。これが、ポルトガルの食文化に欠かせないバカリャウの起源だと言われる。そしてポルトガル人が海を越えて世界中に乗り出すことにより、バカリャウも伝播することになる。
奴隷貿易が世界に広めたバカリャウ
大航海時代はアフリカにおける黒人奴隷貿易の始まりを告げるものだった。ポルトガル・スペインが植民地とした南北アメリカ大陸・西インド諸島で、当初は先住民の奴隷労働が行われていたが、疫病で急激にその人口が減少。そのため、アフリカ大陸の黒人奴隷を供給する大西洋奴隷貿易(三角貿易)に着手し、大量の黒人がラテンアメリカ地域に送られ、現地に定着した。奴隷貿易の航海中、船では盛んにバカリャウが消費された。そして現在、バカリャウがブラジルや西アフリカでもよく食べられているのは、旧宗主国ポルトガルとその奴隷貿易の名残とも言える。
産業革命が生んだイギリスの国民食
ロンドンのパブで、タラ類など白身魚のフライにフライドポテトを添えた、フィッシュアンドチップスを食べる。これが広まったのは1860年代あたりから。17世紀以降、ポルトガルやスペインに代わりイギリスが奴隷貿易を含む三角貿易の利益を蓄積し、これをもとに産業革命を推進。鉄道網の整備と蒸気船の登場により、ロンドンなどの大都市に迅速に鮮魚を輸送することが可能となった。また、産業革命期の労働者は、安くてすぐに食べられ腹持ちの良い食事を求めていた。こうしてフィッシュアンドチップスは労働者のメインフードとして普及し、やがてイギリスの国民食となった。
干しダラ輸出で繁栄したベルゲン
ベルゲンのレストランで地元産のハンザビールを飲む。瓶のラベルの右にノルウェーの干しダラ、左にドイツを象徴するワシのマークが。ノルウェーはタラの産地で、干しダラは欧州で保存食として人気があった。ドイツのハンザ商人たちは干しダラやタラの肝臓から採った肝油を買い付け、北ドイツやイギリスに運んだ。ドイツからはライ麦やビール、ワインが持ち込まれ、14世紀にはハンザ商人居住区に貯蔵用のブリッゲンと呼ばれる倉庫群が建設され、のちに世界遺産に登録された。現在、ベルゲン名物は干しダラのトマト煮込み、バカラオ。街の歩みに想いを馳せ、いただいた。
タラで味わう大西洋のつながり
コダラ(ハドック)はアイスランドではイーサという。アイスランド人の大好物で、燻製やスープ、ムニエルなど幅広く食べられる。タイセイヨウダラ(コッド)も人気で、これがバカリャウの材料として南欧や南米に輸出される。現在ポルトガルのバカリャウの材料となるタラはイベリア半島ではなく、大半はアイスランドで獲れたものが干しダラに加工され、流通しているという。リスボンで食べたバカリャウは、アイスランドから来たものだったかもしれない。そしていま、レイキャビクのレストランでアイスランド風バカラオを食べる。大西洋のつながりを、タラの味でかみしめた。
タラ戦争の勝因は冷戦だった?
東西冷戦においてNATO(北大西洋条約機構)の最重要軍事拠点とされたアイスランド。そのアイスランドとNATO同盟国のイギリスの間で、タラの漁業権をめぐり、1958年から76年にかけコールド・ウォー(冷戦)ならぬコッド・ウォー(タラ戦争)が起こった。イギリスは軍艦を出動させ、アイスランド沿岸警備隊と互いに砲撃や体当たり攻撃などを繰り広げ、一時は国交断絶に。幸いにも死者が出なかったタラ戦争は、NATO基地の閉鎖をアイスランド側がほのめかしたこともあり、ついにイギリスは譲歩。コールド・ウォーを利用したアイスランドが、コッド・ウォーに勝ったのだった。
オーディン号復活のかげに気仙沼あり
タラ戦争で世界に名をはせたアイスランド沿岸警備隊のオーディン号。その艦名は、北欧神話の主神に由来する。1960年に就航した同船は2006年に引退後、レイキャビク海洋博物館に展示。その後、オーディン号を稼働状態に戻すための修復作業が行われた際、新しいシグナルマストが宮城県気仙沼市の、みらい造船から寄贈された。それは沿岸警備隊を退職したエギル・ソルザルソンさんと、日本人の配偶者が東日本大震災直後、気仙沼でボランティア活動に携わった縁から実現。こうして2022年6月11日、オーディン号復活の記念航海が行われた。タラをめぐる航海は、日本につながる。
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