クルーズコレクション

ドラマに満ちた北米よもやま話-航海作家が選ぶ歴史航海-

2022年3月25日

北米

大都市のモダンな街並みと雄大な自然の双方を楽しむことができ、入港シーンの美しさにも定評のある寄港地が多い北米エリア。カナダの国名の由来からニューヨーカーのアイドルになった若き侍、自由の女神が活躍するハリウッド映画まで、北米大陸にまつわるユニークな歴史ストーリーの舞台を旅します。

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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
カナマルトモヨシさん 公式ブログ

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セントローレンス川にある「中国の瀬」

大航海時代に乗り出したフランスは、アジアへの新航路に活路を求めた。国王フランソワ1世はジャック・カルティエ(1491~1557年)に、北米の北岸をまわりアジアに至る「北西航路」の探索を命じた。セントローレンス川こそ北米大陸を横断しアジアに至る水路と信じたカルティエは、1535年に欧州人として初めてこれをさかのぼる。しかし、現モントリオール付近で急流に行く手を阻まれる。中国(フランス語でラ・シーヌ)への道をさえぎられた彼はこれを「ラ・シーヌ瀬」と名づけた。アジアから北米にも行ける世界一周クルーズができる今、歴史の海へ錨をあげよう。

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「カナダ」のルーツはケベック・シティにあり

ジャック・カルティエは1535年、イロコイ族の村落スタダコナに達した。住民はカルティエに「カナタ」への道を教えた。カナタとは住民らの言葉で村や村落を指したが、彼はスタダコナだけでなくその酋長が支配する土地全体を「カナダ」と呼んだ。その後、欧州人による開拓地が広がるにつれて、カナダと記される領域も現在の広さへと拡大していった。なお、スタダコナはのちのケベック・シティの起源。さらにセントローレンス川をさかのぼってオシュラガにたどり着いたカルティエは、そこの山を「王の山(モン・ロワイヤル)」と命名。現在のモントリオールの由来となった。

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「北米のパリ」に咲いたあだ花・エクスポズの変身

モントリオールは「北米のパリ」の異名を持つフランスの香り濃厚な都市。そんな街に、メジャーリーグの球団が誕生したのは1969年のこと。2年前に開催された万博にちなんでエクスポズと名付けられ、史上初の米国外に本拠地を持つチームとなる。ただ、フランス文化圏のため野球人気は低迷。マイナーリーグの球団よりも年間観客動員数が少ないことも珍しくなかった。大家・吉井・伊良部と日本人の好投手も在籍したが、ほぼ下位が指定席のお荷物球団は2004年末、ワシントンD.C.に移転しナショナルズと改名。創設50周年の2019年にワールドシリーズ制覇を達成した。

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マンハッタンをナツメグの島と交換したオランダ

北西航路を探していたオランダは、1626年にマンハッタン島南端に植民拠点ニーウアムステルダムを建設した。その後、第2次英蘭戦争(1665~67年)の和約でニーウアムステルダムを英国に明け渡す。その代わり、ナツメグの宝庫と呼ばれた東インド諸島のラン島を獲得した。当時、ナツメグは欧州人にとって金よりも価値が高く、オランダにしてみればいい交換だった。英国王はニーウアムステルダムを弟のヨーク公に与え、ニューヨークと改称。のちにラン島が香辛料貿易の主役の座を失い、ニューヨークが世界の経済文化の中心地になるとは、当時誰も夢にも思わなかった。

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© Isogai Miki

幕末の少年侍はニューヨーカーのアイドル

1860年、江戸幕府は日米修好通商条約の批准書交換のため77名からなる「万延元年遣米使節団」を送る。ニューヨーク入りした一行を待ち受けていたのはブロードウェイでのパレードと、初めて目にする日本人見たさに沿道を埋め尽くした50万人の観衆だった。通訳見習いだった16歳の立石斧次郎(たていしおのじろう・1843~1917年)は観衆に投げキッスをするなど陽気にふるまった。彼について米国の新聞がイラスト付きで報道すると、若い女性たちから何千通ものラブレターやプレゼントが届くように。斧次郎のニックネーム、トミーから「トミー・ポルカ」という曲まで生まれた。

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所持金18ドルで入国できた「希望の島」の裏側

19世紀、多くの移民が自由を求めて欧州から大西洋を船で渡ってニューヨークにやってきた。その管理のためニューヨーク湾に浮かぶエリス島を埋め立て、1892年に移民局を開設。1954年までの60余年間で1700万人もの欧州移民がエリス島に上陸した。ここでの入国審査は姓名や所持金など29の質問に答えるだけ。所持金額も最低18ドルあれば合格とかなりハードルが低く、新天地に第一歩を示す「希望の島」だった。一方で、感染症や身元の疑いから入国を認められず本国へ送り返され、家族が生き別れになるケースも。そのため「嘆きの島」とも言われた。

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© Yuruki Shiho

自由の女神もタイタニックも出演するあの続編

アイヴァン・ライトマン(1946~2022年)は現在のスロバキアでユダヤ系夫妻の間に生まれた。だが、ソ連の反ユダヤ主義が東欧にも波及したため、迫害を逃れてカナダに移住。映画監督となり、『ゴーストバスターズ』(1984年)の大ヒットで一躍有名となった。その続編が5年後に公開された『ゴーストバスターズ2』。そこでニューヨークの自由の女神は大活躍。善のシンボルとして悪霊たちを打ち負かすのだ。なお劇中では亡霊船タイタニックもマンハッタンに入港。1912年の沈没事故でニューヨーク到着を果たせなかった実在の客船を、この作品で入港実現させている。

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© Mizumoto Shunya

ピースボートクルーズ初のニューヨーク入港がカレンダーに

ニューヨークで空前の大歓迎を受けた「万延元年遣米使節団」は喜望峰回りで1860年秋に無事帰国。日本史上二度目の世界一周を成し遂げた。それから134年後の1994年6月18日。ピースボートクルーズがチャーターした「新さくら丸」は世界一周の途上、ニューヨークに向かっていた。左手に自由の女神像、右手にエリス島、真正面にワールドトレードセンターなどマンハッタンの摩天楼を見ながら。上空にはヘリコプター。翌年の商船三井客船カレンダー用に空撮していたのだ。世界一周クルーズで海から訪れるカナダそしてニューヨーク。昔も今もそれはこの上なくドラマチックだ。

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