クルーズコレクション

太平洋でつながる歴史と文化-航海作家が選ぶ歴史航海-

2022年7月22日

北米・アラスカ

日本の開国以降本格的になった、日本と北米大陸の往来。特に太平洋を横切った先にある北米大陸西岸には日本との関係を示すさまざまな痕跡が残り、同じように日本にも数多くの文化がもたらされました。北米大陸の太平洋沿岸、そしてアラスカと日本をつなぐ歴史航海が船出を迎えます。

文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。

シアトル市民に熱狂的に迎えられた「ハイカワマル」

地球一周クルーズが出航する横浜港。大さん橋から日本郵船氷川丸が見える。1930年5月17日、シアトルへの処女航海に向かった氷川丸は、寄港地のバンクーバーそしてシアトルで市民から盛大な歓迎を受ける。とりわけシアトル初入港時、現地ラジオ局は「ハイカワマル!ハイカワマル!(HIKAWAMARUの英語読み)」と叫び、その到来を盛り上げた。その後、太平洋戦争中の病院船、戦後の復員および引揚船を経て1953年にシアトル航路に復帰。1960年の引退まで太平洋のかけ橋であり続けた。それでは歴史の証人・氷川丸に見送られて北米アラスカの歴史航海に出よう。

船に乗ってやってきた元祖・二刀流

バンクーバーと横浜を結ぶカナダ太平洋汽船(イギリス)。氷川丸と同じ1930年、同社からエンプレス・オブ・ジャパンがデビューした。1934年11月2日、この新船に乗って横浜に上陸したのが米国大リーグ選抜チーム。ひときわ注目を浴びたのがニューヨーク・ヤンキースの強打者ベーブ・ルース(1895~1948年)だ。13日間の船上生活でも厳しいトレーニングを欠かさず、日米野球では全勝の立役者となった。彼の名が日本で再びとどろくのは、この約90年後。米国でルース以来104年ぶりの「打者2けた本塁打・投手2けた勝利」に迫る二刀流・大谷翔平選手の活躍によってだ。

クリスマスの到来を告げる日本からの「みかん船」

1891年、カナダ太平洋鉄道の貨物船エンプレス・オブ・インディアが東洋から初めてバンクーバーに到着。そのとき、同地に陸揚げされたのが日本から出荷された温州(うんしゅう)みかんだ。現地のオレンジに比べて皮がむきやすいこともあり「テーブルオレンジ」と呼ばれ、一気に普及。日本からの貨物船は「みかん船」とも言われ、その第1船がバンクーバーに到着するのはクリスマスごろだった。そこでカナダの家庭ではクリスマスには、サンタがプレゼントを入れる靴下にみかんを入れた。以来、温州みかんはカナダでクリスマスシーズンの到来を告げる大切なフルーツとなる。

カナダの日本庭園に名を残す「太平洋の橋」

バンクーバー郊外ビクトリアのブリティッシュコロンビア大学に日本庭園がある。それにはかつて5,000円札の肖像だった新渡戸稲造(にとべいなぞう1862~1933年)の名がついている。新渡戸は園内の石碑に刻まれた「願わくは われ太平洋の橋とならん」の信念を持つ国際人だった。1899年に英文でつづった著書『武士道』は日米両国で広く読まれ、1920年から国際連盟事務次長を7年間務めた。1933年秋、日本が世界で孤立を深めるなか、国際会議の日本代表団団長としてカナダに渡る。しかしビクトリアで倒れ、志半ばで客死。庭園は彼を顕彰して1960年に造園された。

海を渡った日本最大級のトーテムポール

トーテムポールは、北米大陸の北太平洋沿岸部に暮らす先住民が家の前や墓地などに立ててきた柱状の木造彫刻。カナダやアラスカ各地はもちろん、日本にもトーテムポールが存在する。高さ9メートル、最大径1.3メートル、重さ3トン。日本最大級のそれは、玉川学園キャンパス(東京都町田市)にある。ブリティッシュコロンビア州のマラスピナ大学(現在のバンクーバー・アイランド大学)から贈られたものだ。これは1980年12月6日に完成。同24日にバンクーバーから船に乗り、1981年1月5日に東京港到着後5日かけて町田に着いた。海を渡った巨大トーテムポールである。

ベーリングの置き土産、ロシア領アラスカ

ロシアのピョートル大帝は、ヴィトゥス・ベーリング(1681~1741年)にシベリアと北米が陸続きかどうかの調査を命じた。彼は1728年にベーリング海峡を発見するが、北米大陸の確認はできなかった。そこで再度ベーリングを隊長とする第2次探検隊が結成される。その任務にはカムチャツカから日本の距離を測定することも含まれていた。1741年、ベーリングはアラスカ南岸にあるカヤク島を発見。これはロシアが北米大陸にしるした第一歩だった。体調を崩していたベーリングは帰国の途上、アラスカの無人島で息を引き取る。しかしこの発見により、アラスカはロシアの領土となった。

アラスカを買った男の評価を一変させたものは?

クリミア戦争(1853~56年)で英仏などに敗れたロシアは財政が悪化し、アラスカの維持も困難に。カナダを領有していたイギリスからの侵攻も懸念され、その売却を中立国の米国に打診した。国務長官のウィリアム・スワード(1801~1872年)は1867年、総額720万ドルという安値でアラスカを購入する。当時、これは愚行とみられアラスカは「スワードの冷蔵庫」と酷評された。ところが、20世紀直前に金がアラスカで発見されると評価は一変。現在アラスカクルーズの停泊地として知られる港町には彼の名が冠せられ、毎年3月の最終月曜は彼をたたえる「スワード・デー」となった。

『黄金狂時代』の監督・主演は天ぷらがお好き

チャールズ・チャップリン(1889~1977年)が監督・主演の『黄金狂時代』(1925年)。ゴールドラッシュに沸いた19世紀末のアラスカを舞台とし、彼の最高傑作となった。1932年、チャップリンは欧州からの帰途、東京を訪れた。彼が日本橋の「花長」で食べた天ぷらが大好物と聞きつけた日本郵船は、同店に氷川丸の料理人を見習いに出す。そして横浜から氷川丸に乗船した彼にルームサービスで天ぷらを供し、大変喜ばれた。北米アラスカへの船旅。今も昔もそれは金塊にも勝る、黄金色に輝く記憶が残る航路だ。
それが地球一周の途上ならば、輝きは一層増すはずだ。

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