クルーズコレクション

【南回りクルーズ発表特別号】南半球をめぐる船旅のロマン−航海作家が選ぶ歴史航海−

2022年3月10日

【南回りクルーズ発表特別号】南半球をめぐる船旅のロマン−航海作家が選ぶ歴史航海−

アフリカ大陸の南端に位置する喜望峰、そして南米大陸のマゼラン海峡を通過する「南回り世界一周クルーズ」は、ピースボートクルーズでも大きな人気を誇る航路。かつて幾多の船乗りたちが行き交った旅路には、幾多の歴史ドラマが残されています。大航海時代から近現代まで、南半球の船旅にまつわる歴史絵巻を紐解きます。

文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。

【南回りクルーズ発表特別号】南半球をめぐる船旅のロマン−航海作家が選ぶ歴史航海−
Ⓒ Mizumoto Shunya

日本初の南回り世界一周を達成した「新さくら丸」

喜望峰とマゼラン海峡を通る「南回り世界一周クルーズ」を日本史上初めて達成したのは、1999年のピースボートクルーズだった。使用したのは「新さくら丸」で、日本船としても初の快挙である。この5年前の1994年、ピースボートクルーズは同船で北回り世界一周を実施。これは「最後の南米移民船」として知られる1973年の「にっぽん丸」以来、約20年ぶりの日本船による世界一周クルーズだった。その新さくら丸も、南回り世界一周の同年に引退。発着地の東京・晴海客船ターミナルも2022年2月20日に閉館となった。歴史はめぐる。ここからは南回りの歩みをたどる航海に出よう。

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行方不明となった『星の王子さま』作者の消息は?

マダガスカルはバオバブの木で知られる。フランスの作家サン・テグジュペリ(1900~44年)の小説『星の王子さま』にも登場する木だ。作者は腕利きのパイロットでもあり、1935年にはフランス~ベトナム間の最短時間飛行記録に挑戦。サハラ砂漠に不時着しながらカイロまで3日間歩き続けて生還し、この体験から『星の王子さま』が生まれた。しかし、第2次世界大戦中の1944年、偵察機で出撃後に消息を絶った。その54年後、マルセイユ沖で『星の王子さま』の出版社名と住所が刻まれた銀製品など残骸が見つかる。そして彼の生誕100周年の2000年、その搭乗機と確認された。

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Ⓒ Nakamura Mitsutoshi

喜望峰とブラジルを発見した探検家の無念

ポルトガル国王ジョアン2世は、インドやアジアにいたる交易路発見の遠征隊長にバルトロメウ・ディアス(1450年頃~1500年)を選んだ。1488年、大嵐で約2週間の漂流を強いられたが、アフリカ大陸南端に到達しインドへの道を切り開く。ただ、あまりの苦難に船員の不満は爆発寸前。ディアスはインドへの航海をあきらめざるをえなかった。彼は苦労の末見つけた岬を「嵐の岬」と報告。しかし国王は東方への道が開けたと喜び、「喜望峰」と改名した。のちにディアスは南米航海でブラジル発見に立ち会うが、直後の海難事故で落命。生涯インドの地を踏むことはなかった。

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Ⓒ PEACEBOAT

出島を追放されたオランダ人がつくった岬の街

オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベック(1619~77)年は、1642年に長崎の出島に派遣された。ところが、そこで闇取引の嫌疑をかけられその職を解任され、本国召還となる。さらに、喜望峰を回ったところで彼の乗った船が座礁。次のオランダ行きの船が来るまで見知らぬ土地で過ごすはめになる。ところがここが気候も風土もよく、長期航海の食糧補給地に適していることが明らかに。祖国に戻ったリーベックは植民地の建設責任者として自身を熱心に売り込む。その甲斐あって、責任者となった彼の指揮のもと1652年に建設された入植地が現在のケープタウンの起源となった。

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ロシアが造り、ソ連に沈められた笠戸丸の数奇

1908年、神戸港から第1回ブラジル移民781名を乗せ、サントスに入港した笠戸丸。もとは英国で1900年に進水したが、まもなくロシア義勇艦隊に売却され改名した「カザン」だ。日露戦争に加わるが、旅順港内で被弾し沈座。1905年にそれを捕獲した日本海軍が、カザンの読みが笠戸島(山口県)に似ているとし「笠戸丸」と名付けた。ブラジル移民を運んだ後は、大阪商船の台湾航路や南米航路の第1船として活躍する。1930年には漁業工船に改造されるが1945年8月9日、突如カムチャツカ沖でソ連軍の空爆を受けた。かつてのロシア船は、その母国の攻撃で海に沈んだ。

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Ⓒ PEACEBOAT

アニメ「母をたずねて三千里」の原作は短編小説

1976年の毎週日曜、1年間放映されたアニメ「母をたずねて三千里」。主人公マルコはブエノスアイレスに出稼ぎに行ったまま音信不通となった母を探しにイタリアのジェノバからフォルゴーレ号に乗って27日間の船旅の末、ボカに上陸。苦労してついに母と再会する。その原作はイタリアの作家エドモンド・デ・アミーチス(1846~1908年)が子どもの教育用に書いた小説「クオーレ」のなかの短編「アペニン山脈からアンデス山脈へ」。アニメは、クオーレの他の短編エピソードや原作にはない登場人物をつけ足して年間放送にこぎつけた。また原題に登場するアンデス山脈は、現地では見えない。

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Ⓒ Matsuda Sakika

パタゴニアの由来となった巨人たちはいま

1519年に人類初の世界周航に乗り出したフェルディナンド・マゼラン(1480~1521年)。その途上、南米で身長3~4メートル台の先住民族に遭遇したという。マゼランは巨人たちをパタゴンと名付け、以来この地はパタゴニアと呼ばれるようになった。その後、欧州人のパタゴニア上陸が相次ぐと先住民は2メートルもないことがわかり、巨人伝説は終わりを告げた。巨人の正体はテウェルチェ族(男子の平均身長180数センチ)と推測される。しかし19世紀後半に欧州人の入植が本格化すると、伝染病や戦争の影響によって「巨人」も激減。現在はパタゴニアに200人くらいしかいないという。

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「天国にいちばん近い島」フィーバーとリアル

森村桂(かつら・1940~2004年)は1964年、退職してニューカレドニアへひとり旅に出た。2年後に出版した旅行記『天国にいちばん近い島』は200万部を超える大ベストセラーに。1986年には映画化されブームが再燃した。ロケ地のウベア島には日本人観光客が急増、そのためリゾートホテルができたほど。しかし当時、現地ではフランスに対する流血をともなう激しい独立運動が起こっていて、楽園とは程遠い現状だった。
楽園イメージと複雑な歴史が交差する南半球。その各地をめぐるのは大変だ。海でつながる南半球の旅には船旅が適している。そして、南回りのパイオニア・ピースボートクルーズなら、より南半球の魅力を存分に味わえるはずだ。

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