複雑な世界をそのまま受け止める空間
インド洋を進み、マラッカ海峡へ。行き交う船が増え、海の表情が変わっていきます。地図では細く見える海峡も、実際には両岸が見えないほどのスケールです。
船内では、多様な人びととの出会いを通して、「国」や「アイデンティティー」を見つめ直す機会も生まれます。海と人が交差する、ピースボートならではの航海とは──ジャーナリスト・ノンフィクション作家の高瀬毅さんによる連載第3回をお送りします。
高瀬毅 / ジャーナリスト・ノンフィクション作家
長崎市生まれ。被爆二世。元ニッポン放送記者。ラジオドキュメンタリー『通り魔の恐怖』で日本民間放送連盟賞最優秀賞。ラジオ・TVのナビゲーター、コメンテーター、雑誌『AERA』の「現代の肖像」で40人の著名人を取材。著書に平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞した『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(平凡社・文春文庫)など多数。2025年『「ナガサキ」を生きる──原爆と向き合う人生』(亜紀書房)を上梓。
YouTube「デモクラシータイムス」で政治問題を中心に発信
船はインド洋からマラッカへと向かっていた。それまで360度水平線の大海原が広がっていた。ごくたまに船影が見えると、なにかほっとした。マラッカが近づいてくると、次第にすれ違う船の数が増えてくる。やがてマラッカ海峡に入る。世界地図ではとても狭く見えるが右舷側も左舷側も陸地らしきものはまったく視界にとらえきれない。水平線までの距離は約20数キロメートル。両岸が見えないということは最低でも50キロはある。地図と実際の距離感の違いに、改めて地球の大きさを実感する。
500年前の「歴史の道」と同じ海をトレースしながら語る。そんなことができるのもピースボートに乗れたからこそである。マラッカを抜けた欧州列強のうち、ポルトガルは中国のマカオを占拠。ここを拠点にして、東シナ海へと商圏を拡大していく。長崎の平戸にポルトガルの商館を開き、カトリックの宣教もおこなった。やがて彼らは天然の良港である現在の長崎市の深い入り江を発見する。インド洋から始まった大航海時代が半世紀後に到達した所は、私の故郷、長崎であった。
ピースボートには、国籍、民族、人種、職業、経歴、ジェンダーなどの違う、さまざまな人たちが乗っている。そこでは寄港地ごとに関わりのあるテーマを持ったゲストが乗船して交流したり、水先案内人がそれぞれの地域の問題について講座を開いたりする。船という限られた空間なので、世界の多様性を端的に感じ取ることができるのである。世界は私たちが想像する以上に複雑で、問題が絡み合っている。船内で出会い、交流する中で、そうした世界の一断面を直接実感する。船は世界に開かれた扉の一つだと思う。
あなたはなに人? はい、日本人です。即座に答えられる人が日本では圧倒的に多いのではないだろうか。四方を海に囲まれた日本列島に、日本人の両親から生まれ、日本から出ることもなく育った人は、自身が日本人であることを微塵も疑わない。だけど、あなたは何人? と聞かれて逡巡せざるを得ない人たちが、世界にはたくさんいる。そもそも「なに人?」という時の「なに人」はどのようなことを指すのだろうか。国籍? 民族? 出生地? 現在住む国?言語、文化のアイデンティティーのこと? 両親の出身国が違う場合は? いくらでも疑問がでてくる。
「無国籍」や「多重国籍」を研究している文化人類学者の陳天璽さん(早稲田大学国際学部教授)がシンガポールから乗船してきた。私は取材を通して以前からの知り合いだ。陳さんは、戦争や内戦、政治的事情で国籍を失くし、国籍の定義からこぼれ落ちた人たちについて教えてくれた。それらの人々を「MRSDH+」という造語で説明した。Migrant=移民、Refugee=難民、Stateless=無国籍、Half/Dual/Multipul=多重国籍。そして以上の立場のどれにも当てはまらない人たちだ。それらの頭文字をとって表したのが「MRSDH+」である。
陳さんの話を聞いていると、私たちが持っている“常識”が、いかに日本という限られた国の中での思い込みにすぎないかが分かってくる。そもそも国籍には世界的な共通の物差しがない。日本は血統主義をとる(1984年まで父系のみ・その後父母両系)が、米国は生地主義。米国で生まれた子供は、どの国の出身者でも米国籍となる。二重国籍も許される。だが、日本では二重国籍は認めないので、一定の年齢でどちらかの国籍を選択しなければならない。国籍に絶対はない。そんな基礎知識を、多くの日本人は知らないのではないだろうか。
ピースボートには、政治的に対立する国の人たちも多数乗り合わせている。言語も違うので、コミュニケーションをとるのも容易ではない。しかし、大きなトラブルが起きたという話は聞かない。もちろん、金銭的、経済的利益がぶつからないので、日常の世界と同列に語ることはできないが、運命共同体である一つの船の中では皆が気を使い、一定の距離をとって、皆が快適に過ごしていくことができるように気を配る。所属する国も民族も言語も文化も違う人々が平和的に折り合いをつけていく距離感を船内では感じ取る事ができる。
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