「国が沈む」とはーー解像度をあげてくれた旅と映画
「海面上昇によって国が沈む」。遠い問題のように感じていた気候変動は、太平洋の島国を訪れたことで、“今そこにある現実”として迫ってきました。土地だけではなく、暮らしや文化、記憶までもが失われていく――。海面上昇がもたらす現実とは? 映画探検家のアーヤ藍さんに寄稿いただきました。
アーヤ藍 / 映画探検家
1990年生まれ、長野県育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒業。在学中にアラビア語の研修で訪れたシリアが帰国直後に内戦状態になり、シリアのために何かしたいという思いから、社会問題をテーマにした映画配給宣伝を行うユナイテッドピープル株式会社に入社。同社取締役副社長を務める。2018年に独立。「映画探検家」として、映画の配給・宣伝サポート、映画イベントの企画運営、雑誌・ウェブでのコラム執筆を行う。編著書に『世界を配給する人びと』。
ずっと「遠い問題」だった海面上昇
「地球温暖化によって北極の氷が溶けて海面が上昇する」。最初に聞いたのがいつだったか思い出せないぐらい昔から、そう言われてきました。近年は「温暖化」よりも「気候変動」という言葉が一般的になり、40度を超える猛暑や記録的豪雨の頻発、国内外の山火事の増加など、そのさまざまな影響を私たちも肌で感じるようにもなってきました。
一方で、「海面が上昇する」ことの影響について、私たちは教科書などで見た「溶けそうな氷の上で行き場をなくすシロクマ」の姿から、そのイメージを更新できているでしょうか。かくいう私も海のない長野県で育ち、長らく、どこか遠い問題に感じていました。海面上昇の影響を現実のものとして実感したのは、マーシャル諸島共和国を訪れた時です。
旅と映画が現実感をもたせた
太平洋に浮かぶ1200以上の島々から成るマーシャルは、山がなく、平均海抜は約2メートル。小さな島ばかりなので海が近く、高潮で荒れた天候の日などは、今でも海水が道路や住宅地まで入り込むことがあると言います。実際、滞在中の悪天候の日に波をかぶっている道路を目にしたこともありました。
わずかでも海面が上昇したら、国の大部分が沈んでしまう。そう体感した場所でした。
ただ、その時私の想像力が及んだのは「国が沈む」ところまで。では国が沈むとはどういうことなのか。その解像度をあげてくれたのがドキュメンタリー映画『キリバス 大統領の方舟』(原題:ANOTE’S ARK)です。
海面上昇によって世界で最初に沈む国の一つとされるキリバスでは、映画が制作された2018年の時点ですでに、ある村で高潮により護岸が壊れ、集落全体が浸水する事態が起きています。また「沈む」より手前のわずかな海面上昇であっても、水源である淡水レンズ(地面に染み込んだ雨水が、比重差によって海水層の上に浮かぶように蓄えられた淡水の層)に海水が侵入し、混ざり込んでしまいます。それはつまり、飲用水や農業用水など、人が暮らしていくために必要な水の確保が困難になるということです。
映画『キリバス 大統領の方舟』より
「尊厳ある移住」を求めて
気候変動の影響を元に戻せるものなら戻したい。しかし、もう沈むことからは逃れられない。遠くない将来、居住不可能な土地になるだろうーー。そう予測するアノテ・トン大統領(当時)は、様々な国際会議や海外メディアを通じて、キリバス国民の生存の権利を訴え、護岸の増強や国外の土地購入のための資金援助や、キリバス国民の移住の受け入れなどを呼びかけます。
映画『キリバス 大統領の方舟』より
実際、映画の中では、ニュージーランドへ移住するひとりのキリバス人女性も登場します。家族全員の飛行機代をすぐには用意することができず、彼女は幼い子どもたちを親族に預けて単身でニュージーランドへ渡ります。家族や地域コミュニティからの離別に寂しさや不安を抱えるだけでなく、道路の停止線の意味すら知らないほど異なる生活環境の中で、彼女は生きていくために、経験のない農園の仕事に応募します。キリバスであれば、海で魚や貝を採り、自給自足に近い形で暮らせていたのに…。
映画『キリバス 大統領の方舟』より(スーツで国際会議に出る姿と対照的に、キリバスに帰ると、このように魚や貝を獲るアノテ大統領)
アノテ・トン大統領は「尊厳ある移住」を求めていますが、就労の自由や移動の自由など、自国であれば当然のように認められていた権利が、必ずしも保障されるとも限りません。「気候難民」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、現在の国連難民条約では「気候変動」は難民認定の理由に含まれていません。移住するとしたら労働移住や教育留学などの形をとるしかないのです。
「土地を離れる」ことで失われるもの
さらにもうひとつ、同大統領が映画の中で「国が沈む」ことの影響について語っている言葉があります。「キリバスを離れることになれば、私たちが守ってきた伝統や文化の独自性を保つことは難しくなる」
映画『キリバス 大統領の方舟』より
伝統や文化と言うと、日本では着物や茶道など「特別なもの」が意識されやすいかもしれませんが、私がこの言葉から思い起こしたのはマーシャルでの時間です。子どもたちが夕日にきらめく海でにぎやかに沐浴していたこと。滞在先近くのお父さんが釣った魚を華麗に捌いて「チャチミ(刺身)」を振る舞ってくれたこと。道中出会った青年たちが、椰子の木からココナッツの実をとって果汁を飲ませてくれたこと。祖先のルーツの島は、たとえ自分が訪れたことがなくても「故郷」として愛しそうに話す人ばかりだったこと。はたまた、第一次世界大戦~第二次世界大戦期に日本がマーシャルを委任統治していた時代に残していったさまざまな戦争の遺構や、今も歌い継がれている日本語の歌詞の歌――。
マーシャルを訪れたときにご馳走になった食事。手前の2品はマーシャルで生まれて初めて食べて好きになった「パンノミ」。移住は食文化の変化ももたらすはずです。
かつて日本軍が拠点を置いたマーシャルの島々には今も様々な戦争の「遺物」があふれている。
そうした日々の暮らし方であったり、その土地に刻まれた記憶なども、その国の“確かな一部”であり、同時に、土地を離れた瞬間に失われてしまいやすいものだとも思うのです。
私たち自身の遠くない未来
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書によれば、2100年までに世界平均海面水位は最も厳しいシナリオの場合、1.01メートル上昇すると予測されています。アノテ・トン大統領は映画の中で重ねて、「世界もいずれ私たちと同じ運命をたどる」と話しています。「海面上昇で国が沈む」ことがどれほど多くのものを奪うか、映画と旅からきっと自分ごとに一歩二歩、近づけて考えられるのではないでしょうか。
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