クルーズコレクション

東アジアの海をゆく、麗しの船旅-航海作家が選ぶ歴史航海-

2021年11月26日

東アジア

日本ともゆかりの深い東アジアの街々は、洋の東西をつなぐ「海のシルクロード」の重要な拠点として、古くからさまざまな役割を果たしてきました。数々の歴史に彩られた東アジアの交易圏をめぐるクルーズはいま、注目されています。古代から中世、近代と時を飛び越え、この海域がつなぐ物語をカナマルトモヨシ氏が紐解きます。

文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。

フォルモサから始まる、麗しの船旅

台湾。その語源は、島に昔から暮らしていた原住民族の言葉に由来する。一説では、現在の台南がかつてダイワンと呼ばれており、17世紀にそこへオランダ人が最初に入植したことで、世界にその名が広められたという。また、台湾はポルトガル語で「美しい」を意味する「フォルモサ」という別称を持つ。大航海時代まっただなかの16世紀、台湾沖を通過したポルトガル船の航海士がそのあまりの美しさに感激し「イーリャ・フォルモーザ(美しい島)!」と叫んだことによる。時は移り、21世紀。麗しの船旅で、時空を超えた東アジアの航海へ出かけたい。

日本を目指した鑑真が流れ着いた海南島

井上靖の歴史小説『天平の甍(いらか)』。遣唐使で大陸に渡った留学僧たちが、揚州の高僧・鑑真(688〜763年)を日本に招くため幾多の困難に立ち向かう。その姿が、実話をもとに描かれている。鑑真は渡日を決意するが、ことごとく失敗。748年の5回目の渡海では激しい暴風に遭い、はるか南方の海南島へ漂着した。鑑真は島に滞在中、数々の医薬の知識を伝えたという。3年後、鑑真は揚州に戻るが、慣れない南方の気候や心労などにより、両眼を失明してしまう。それでも753年、ついに渡日。日本に戒律および彫刻や薬草の知識も伝え、奈良に唐招提寺を創建した。

マルコ・ポーロも見た世界最大の港ザイトン

ヨーロッパに日本を「黄金の国ジパング」として紹介したマルコ・ポーロ(1254頃〜1324年)。ベネツィアから陸路でたどり着いた中国に17年間滞在し、1292年に海路で帰国した。マルコはザイトン(現在の福建省泉州)から中国を離れたが、当時のザイトンは海のシルクロードの拠点としてアラブ人やペルシャ人も暮らす国際都市。1345年にはモロッコの大旅行家イブン・バットゥータもここを訪れ、約100艘の大型ジャンクと数え切れないほどの小型船が停泊する「世界最大の港」と記している。しかし、のちに海岸線の後退により港の機能を失い、衰退した。

中台両岸の英雄は平戸生まれ

マルコ・ポーロの訪問から約300年後の泉州に生まれ、東アジアを股にかける海賊の頭領となった鄭芝龍。九州の平戸を根拠地とし、武士の娘と結婚した。彼女が千里ヶ浜に貝拾いに行ったとき、急に産気づき岩にもたれて男児を出産。これがのちにオランダ人を駆逐し台湾を舞台に明朝の復興を掲げ、清朝と戦う鄭成功(1624〜62年)だ。幼名は福松と名乗り、7歳まで平戸で過ごしたのち、父・芝龍のいる福建に渡った。いまや厦門には巨大像が建ち、台湾でも英雄視される鄭成功。出生の地・平戸の千里ヶ浜には成功の誕生石「児誕石」がひっそり残る。

鄭成功がモデルの大ヒット作「国性爺合戦」

鄭成功は熱病により若くして急死。彼が台湾に打ち立てた鄭氏政権も1683年に清朝の軍門に下ったことで終焉を迎える。それから30年後の1715年、近松門左衛門作の人形浄瑠璃「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」が大坂・竹本座で初演された。これは中国人を父に、日本人を母に持つ鄭成功(作中では和藤内)を題材にとったもの。史実とは異なり、和藤内が明朝の復興を成し遂げるハッピーエンドとなっている。鎖国下の日本において、海外を舞台にした日中ハーフの大活躍というストーリーは大当たり。当時としては異例の17か月続演というロングランとなった。

Ⓒ Isogai Miki
夏目漱石の香港での寄港時間の過ごし方

1900年9月8日。明治政府から英国留学を命じられた夏目漱石(1867〜1916年)は、横浜からドイツ汽船「プロイセン号」に乗った。出航から11日後の午後4時ごろ、香港の九龍に寄港。上陸した漱石は日本の味が恋しくなったのか、まず日本人が経営する旅館に直行し和食をとる。帰船後に見た香港の夜景はダイヤモンドやルビーをちりばめたような美しさだったと記している。翌日はスターフェリーに乗って香港島へ行き、ピークトラムでビクトリアピークに登頂。香港の眺望を楽しんだあと出帆した。のちの文豪も、現代人と変わらぬ香港観光を満喫されたようだ。

Ⓒ Isogai Miki
バナナの叩き売りが門司港で始まった理由

JR門司港駅前に「バナナの叩き売り発祥の地」の記念碑が立つ。1895年に台湾が日本の領土となり、基隆から門司港を経由して神戸を結ぶ航路が開設された。1903年、基隆の商人が神戸に台湾バナナを持ち込んだ。これが日本のバナナ輸入の始まりという。輸送中の船内で熟成が進んだものや傷んだものは、廃棄するのももったいないので、寄港地の門司港で売り切りのため口上に乗せて販売した。これが叩き売りの起源だ。保存技術が進み、叩き売りは姿を消したが、2017年に「関門”ノスタルジック”海峡」の構成文化財の一つとして、日本遺産に認定された。

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