人類の歩んだ大いなる旅路に魅せられて-2-
人類はなぜ地球上、南極大陸以外のあらゆる場所に棲むようになったのか─?遥か53000キロも及ぶ人類の軌跡を独力で踏破した関野さんが見出したもの、そして南米・アフリカをめぐる壮大な旅の魅力とは?
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関野吉晴さん(探検家、医師)
一橋大学在学中に同大探検部を創設。1971年アマゾン全域踏査隊長としてアマゾン川全域を下ったことをきっかけに南米に惚れ込む。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたり南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じ、横浜市大医学部に入学。外科医師となり病院などに勤務しながら、南米通いを続けた。1993年、アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約5万キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」に出発。10年の歳月をかけ、2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。
関野吉晴さん 公式サイト
まだまだ信じられないものがあるアフリカ
南米のアマゾンやパタゴニアと比べても、アフリカには信じられないもの、驚異的なものが秘められています。なかでも私が好きなのは、アフリカ東部に位置するエチオピアです。アフリカ最古の独立国で、古いキリスト教の教えから独自に発展した“エチオピア正教会”を信仰する人びとが多数派の国です。私たちが一般的に想像するクリスチャンのイメージとは大きく違い、エチオピア正教会の教えでは勤労よりも大切なものとして、宗教的な集まりをもつこと、つまり聖書の教えについて話し合うことと説いています。
そのため、エチオピアではどこかへ出かけても、どうしてこんなに人がいるのかと思うほど、道路上、道路沿いに人がたむろしているんです。そのうえ、よく声を掛けてくる。「ファラルゴ!」というのが掛け声です。最初、理解できなかったのですが、「Where are you going?」がなまって、短くなったものでした。私はどこへ行っても珍しがられ、とにかく人が集まってきました。こうした人びとのエネルギーや日本と大きく異なる価値観との出会いは、実際に現地を旅したからこその体験です。
野生の王国で動物たちと共に走る
いよいよグレートジャーニーの行程もケニアのナイロビからゴールのラエトリまでを残すだけとなったとき、野生の王国として有名な、ンゴロンゴロ国立公園に入りました。公園内は原則として車での移動しか許されていないのですが、私はタンザニア政府の特別許可によって、公園内を自由に自転車で走ってよいことになりました。ヌ—の間を縫うように自転車を走らせると、ガゼル、インパラ、シマウマも走っていました。観光客の車に慣れている野生動物たちも、車から降りた人間は怖がります。
自転車にまたがった人間はどうなのか——得体の知れないものの出現に戸惑って、最初はやはり逃げていた野生動物たちでしたが、それほどの距離は逃げずに、こちらをじっと見つめてくるのです。そして私が近寄るとまた逃げる。キリンの集団は、目の前で見るとやはり大きいです。まるでスローモーション画像のようにゆったり動くのに、歩幅が広いため移動速度は速いのです。野生動物と共に走る楽しさに結構はしゃいでしまったので疲れがたまってきましたが、それでも飽きることはなかったですね。
グレートジャーニーのゴールと、人類の旅のはじまり
グレートジャーニーのゴール地点であるサバンナに到着してから頭に浮かんだのは、「やっとたどり着いた」という安堵の気持ちと、「人類はここから出発したのか」という感慨でした。ただ同時に、サバンナにはライオンやヒョウなどの猛獣、ゾウなどの大型生物も生息しているため、「この環境で生き抜くのはきついな」とも思いました。人類がもともと暮らしていた森には天敵がおらず、樹上生活をしていれば困ることはありません。それがなぜサバンナに出たのか——?繁殖力や力の弱かった人類が、類人猿が多く存在していたあの時代の環境では競争に負けてしまい、外に出ざるを得なかったと考えられます。
そんな弱い人類がサバンナに出たらどうすればいいか?人類は2本足で立って歩くことと、「コミュニティ」と「家族」をつくることで生き延びました。2本足になるとずいぶん遠くまで見えるようになり、外敵の存在に気づきやすくなります。また、コミュニティや家族をつくり集団を形成することで襲われにくくなる。コミュニティと家族の倫理は異なります。大まかに表現すれば、コミュニティ(=群れ)の倫理は平等で、家族の倫理はえこひいきとでも言えるでしょうか。こうした相反する二つの倫理を持ち合わせているのは人類だけの特性で、地球上にこれほど繁栄することができた大きな要因の一つなのです。
始まりの地での不思議な出会い
最後に、ピースボートとグレートジャーニーが交差したエピソードを紹介したいと思います。それは、9年ほど前のピースボートクルーズにゲストとして乗船した際、南米大陸の南端に位置するウシュアイアへ寄港したときのこと。街の近くにはチリとの国境を流れるビーグル水道がありますが、この海峡の対岸にあるナバリーノ島はグレートジャーニーの出発地、つまりアフリカを出た人類が最後にたどり着いた地でした。せっかくなので、島の近くをゆくビーグル水道クルーズに参加したのですが、その船上でルーマニア人の一家から「グレートジャーニーの人ですか?」と声をかけられたんです。
よくよく話を聴いてみると、その家族は世界各地を旅していて、かつてタンザニアを訪れた際に、私がグレートジャーニーで最後にたどり着いたゴール地点を訪れたそう。その場所には記念の碑が建てられているのですが、実際にその写真を見せてくれたんです。まさかグレートジャーニーの出発地付近で私のことを知るルーマニア人と出会うとは、それも旅のゴール地点の写真を見ることになるとは夢にも思いませんでした。こうした不思議なめぐり合わせがあるのが、旅の面白さですね。
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