クルーズコレクション

南米と日本・欧州をつなぐ海の物語−航海作家が選ぶ歴史航海−

2021年12月24日

南米

日本から最も遠く離れた大陸、南米。飛行機の直行便はなく時差もおよそ半日と気軽に行ける地域ではありませんが、だからこそピースボートクルーズでも人気の高い行き先です。地理的な距離を越え、日本と数々の結びつきをもつかの地へ。航海作家・カナマルトモヨシ氏と共に、南米と日本をめぐる歴史航海へと出かけましょう。

文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。

Ⓒ Matsuda Sakika
リオに初めて上陸した日本人は幕臣

リオデジャネイロに日本人が初めて上陸したのは幕末の1867年1月のこと。江戸幕府が発注した軍艦「開陽丸」の建造監督を兼ねてオランダに留学したのが榎本釜次郎――のちの武揚(1836~1908年)である。開陽丸が完成し、オランダから日本へ回送する途中、他の日本人留学生とともにリオに寄港したのだった。明治になって旧幕臣ながら新政府の要職に就いた榎本は日本とブラジルの修好通商条約締結(1895年)に関わり、日本人ブラジル移民の立案も行うなど同国との縁はその後も続いた。それでは、南米の最南端にいたる歴史航海の錨をあげよう。

リオに初入港した開陽丸の悲劇

リオデジャネイロに初寄港した日本船「開陽丸」は、1867年4月に無事横浜に入港を果たす。ところが、同年10月の大政奉還で幕府は消滅。まもなく始まった戊辰戦争では、榎本武揚が艦長として開陽丸などを率い、薩摩海軍を破るなど活躍した。1868年4月の江戸無血開城で、新政府軍から開陽丸の引き渡しを求められるが、榎本はこれを拒否。蝦夷地(北海道)に走り、10月に箱館を拠点に占領、12月には蝦夷共和国を樹立した。だが11月、開陽丸は江差沖で悪天のため座礁、榎本の目の前で沈没する。開陽丸を失い劣勢に立たされた榎本は翌年、新政府軍に降伏。蝦夷共和国の夢も消えた。

最初の芥川賞はブラジル移民の物語

小説家志望の青年・石川達三(1905~1985年)は作品を出版社に持ち込んでも門前払いが続く。1930年、自分探しのつもりか、石川は移民船「らぷらた丸」に乗りこみ神戸からサントスへ渡る。日本人農場などに短期滞在ののち帰国し、神戸出港までの体験をもとにした『蒼氓(そうぼう)』を書くも、掲載予定の雑誌が廃刊となってお蔵入り。が、別の雑誌に彼の知らぬ間に掲載され、1935年に新設された第1回芥川賞を受賞する。人気作家となった石川は「らぷらた丸」の様子を描写した第二部「南海航路」、サントス上陸後の第三部「声無き民」を加筆した。

初の日本発着世界一周クルーズは最後の移民船

1973年2月14日、正午。日本史上初の世界一周クルーズが横浜から出航した。その船は商船三井客船の「にっぽん丸」(初代)。400人を超える船客を乗せていたが、そのうち285人は南米への移民だった。これをもって船による移民は停止されたことから、最後の移民船でもあった。出航から1か月半後の3月27日、サントスで移民たちが下船し、南米移民船の歴史にピリオドが打たれた。その後、日本発着世界一周クルーズもしばらく途絶える。1994年4月28日、ピースボートクルーズが商船三井客船からチャーターした「新さくら丸」で東京を出航するまで。

サッカー・ワールドカップに船でやってきた欧州勢

2022年にカタールで開催されるFIFA(サッカー)ワールドカップ。その第1回は石川達三がサントス行きの船に乗った1930年、ウルグアイで開催された。当時は予選がなく、参加国はすべてホスト国のウルグアイが招待した。ただ、南米まで2週間の船旅をしなければならない欧州諸国はこぞって辞退。結局フランス、ベルギー、ユーゴスラビア、ルーマニアが海を渡り、13か国で行われた大会はウルグアイが優勝した。ところで実は日本も招待されていた。しかし、日本に選手を送り出す財政的な余裕はなく、不参加に。その初出場は1998年まで待たねばならない。

Ⓒ Mizumoto Shunya
世界でも最も貧しい大統領は元ゲリラ闘士

ウルグアイの第40代大統領ホセ・ムヒカ。財産の大半を寄付し、畑で農作業にいそしむ質素な暮らしぶりから「世界で最も貧しい大統領」として世界に知られ、ピースボートクルーズのモンテビデオ寄港時にも気さくに訪船したことがある。そんな好々爺のイメージだが、軍事政権時代(1973~1985年)は左翼ゲリラの闘士で10年以上投獄されたという経歴も持つ。旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督はドキュメンタリー映画『世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ』(2018年)で、その知られざる壮絶な半生をムヒカ自身から引き出している。

ブエノスアイレスと東京をつなぐ地下鉄秘話

1913年、南半球初の地下鉄がブエノスアイレスに開通。A線は日本最古の地下鉄・銀座線建設(1927年)のモデルにもなった。1994~1996年には逆に営団地下鉄(現・東京メトロ)から丸ノ内線の中古車両131両がブエノスアイレスに譲渡され、「乗務員室」などの日本語表記を残したままB線で活躍する。しかし老朽化により順次廃車。ここでそのうちの4両を車両保守教育用として東京メトロが買い戻すことになった。2016年、アルゼンチンから約2か月の船旅をして7月に横浜に到着。丸ノ内線・中野車両基地に約20年ぶりの里帰りを果たしたのだった。

Ⓒ Mizumoto Shunya
世界最南端都市の称号を失ったウシュアイア

南米大陸の南端にあるアルゼンチンのウシュアイア。その名は、先住民ヤーガン族の言葉で「湾の終わり」を意味するウシュアイアに由来する。長らく世界最南端都市の異名をほしいままにしていたが、2019年5月にその地位を突如失う。それはウシュアイアのさらに南に位置するチリ領内の集落プエルト・ウィリアムズが市に格上げされたからだった。しかし、マルビナス(フォークランド)諸島や南極大陸へのクルーズポートとしてのウシュアイアの価値は下がることはない。そして南米の船旅は大自然との遭遇だけではない。奥深い歴史との出会いもまた魅力である。

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