クルーズコレクション

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-

2022年11月7日

ローマ(イタリア)

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-

イタリアの首都ローマは、ピースボートクルーズで訪れるヨーロッパの寄港地でも特に高い人気を誇る街のひとつ。かつてこの地に花開いた古代ローマ帝国は、最盛時にはヨーロッパのみならず北アフリカやトルコをも含む広大なエリアを支配しました。その中心地ローマはもちろんのこと、世界一周クルーズでめぐる地中海の旅路には、ローマ遺跡の数々と、歴史に翻弄された領地の物語が残されています。そうしたストーリーの数々は、後の時代の人びとにも多大な影響を与えました。時代の趨勢(すうせい)とともに数々の歴史を紡いだ古代ローマの夢を追体験する、時代を超えた航海へと旅立ちます。

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-
©︎ Nakasuji Kota

ポンペイよりも万博を選んだ漱石

1900年9月8日。夏目漱石は英国留学のため「プロイセン」号で横浜港を発った。約40日後、彼は初めてヨーロッパに降り立つ。それがナポリだった。当初、漱石はナポリで船を離れ、ポンペイ遺跡やローマを見学する予定だった。しかし、おりしもパリで万国博覧会が開催中。ローマ観光はまた機会があるかもしれないが、パリ万博はこのチャンスを逃せば後はない。こうして漱石はナポリ国立博物館でポンペイ出土品を見るにとどめ、出帆したのだった。それから120数年。ピースボートクルーズも横浜からローマ帝国へと船出し、漱石がついに見なかったポンペイへ向かう。

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-
©︎ Nakasuji Kota

英国貴族の卵も「ポンペイを見てから死ね」

ローマ帝国が繁栄を謳歌していた79年。突如ベスビオ山が爆発し、古代都市ポンペイは火山灰などによって約6メートルも地中に埋没する。その発掘が始まったのは1748年から。当時、英国貴族の子弟は学業を終えると文化的先進国だったフランスとイタリアを目的とする旅「グランドツアー」を行っていた。その終着点はローマとされていたが、18世紀後半にナポリへと変わる。その理由のひとつが、発掘が始まったばかりのポンペイ遺跡を一目見たいというものだった。のちに漱石が目指した英国。その貴族の卵たちも、ポンペイを見なければ死ねない、という心境だったのか。

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-

「全ての道はローマに通ず」のシンボルを復活させた男の悲劇

都市国家ローマはその支配をイタリア半島全域に広げていた。南イタリア征服の際、軍をすばやく移動させる道路が必要となった。そこで紀元前312年に完成したのが幅8メートルのアッピア街道。ベスビオ山の頑丈な火山岩を敷石に用い、「街道の女王」の異名をとった。しかしローマ帝国が滅亡すると、この街道も使われなくなる。1784年、これに並行する新道を造らせたのがローマ教皇ピウス6世(在位1775〜99年)だ。「全ての道はローマに通ず」のシンボル復活である。皮肉にもピウス6世自身はフランス軍の教皇領占領でローマを追われ、異郷で生涯を終えた。

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-

野良猫たちの聖域はカエサル暗殺現場

「ブルータス、お前もか!」。共和政ローマ末期の独裁官ガイウス・ユリウス・カエサル(=シーザー、BC100〜BC44年)が暗殺される際に叫んだ言葉だ。事件はローマ中心部、現在のトッレ・アルジェンティーナ広場にあったポンペイウス劇場で起きた。劇場が再発見されたのは1927年の工事作業中。その後の考古学的調査でここが共和政ローマ時代の聖域だと判明した。さらにカエサル暗殺現場の正確な位置が特定されたのは2012年。事件発生から2056年後である。現在、広場への人の立ち入りは不可。おかげで野良猫にとっては聖域で、ここで自由気ままに暮らしている。

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カルタゴを滅ぼした男の予言は550年後に的中

フェニキア人の植民都市カルタゴは強大な海軍力を持ち、地中海交易を独占した。それはローマにとって脅威だった。紀元前146年、小スキピオ(BC185〜BC129年)はカルタゴを陥落させた。かつて栄華を極めたカルタゴが燃え尽きる光景を見ながら、小スキピオは涙を流し始めた。「いつかローマもこのような運命をたどるのではないか」と。カルタゴは徹底的に破壊されたが、カエサルや初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代に再建。現在チュニス郊外に残る遺跡はほぼローマ時代のものだ。そして小スキピオの予言は410年、西ゴート族のローマ侵攻・略奪で的中する。

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アテネを再興した『テルマエ・ロマエ』の皇帝

ヤマザキマリさんの漫画『テルマエ・ロマエ』は2012年に映画化され、大ヒットした。その重要な登場人物のひとりがローマ皇帝ハドリアヌス(在位117〜138年)だ。作中ではコミカルなキャラだが、実は帝国全盛期を築いた五賢帝のひとり。そしてローマに大きな影響を与えたギリシャ文化をこよなく愛し、共和政末期に荒廃したままのアテネ復興に尽くした。いまもアクロポリスに残るゼウス神殿を約600年ぶりに完成させ、帝国随一の規模を誇る図書館を建設した。こうしてハドリアヌスはアテネ再興の神として敬われ、市民から「ハドリアヌスの凱旋門」を贈られたという。

時を超えるローマの姿 -航海作家が選ぶ歴史航海-

古代オリンピックとともに終焉を迎えたローマ帝国

アテネ中心街にあるパナシナイコスタジアム。1896年、ここで第1回近代オリンピックの開会式が行われた。これは約1500年ぶりに復活したオリンピックであった。紀元前8世紀に始まった4年に一度の古代オリンピックは、ローマのギリシャ征服後も続けられた。しかし、392年にキリスト教がローマの国教となり、他の宗教が禁じられたことで393年に開かれた第293回が最後の古代オリンピックとなる。キリスト教を国教化したのはテオドシウス帝。彼が亡くなった395年、帝国は東西に分裂。再び一つになることはなかった。古代オリンピックとともにローマ帝国も終焉を迎えたのだ。

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あの小説に残る、東ローマ帝国最後の皇帝の名

330年にローマ帝国の新しい都とされたコンスタンティノープル(現イスタンブール)。帝国分裂後は東ローマ帝国の首都となる。それから千年後の1453年、コンスタンティノープルはオスマン帝国の前に陥落寸前となっていた。最後の皇帝コンスタンティノス11世は敵軍に切り込み、絶命。しかし彼の名は日本の小説の中に生きる。登場人物が「オタンチン・パレオロガス!」(コンスタンティノス11世パレオロゴスの英語名と、マヌケを意味するオタンチンをかけた)と連呼する、夏目漱石『吾輩は猫である』で。時空を超えたローマ帝国への船旅は、漱石とともに日本に戻る。

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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。
世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。

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