共感が世界をつなぐ-前編-
Google Mapのピンとなり、”地球に「刺さる男」”という、奇想天外なパフォーマンスで、人びとを魅了し続けるkozeeさん。世界中に”刺さり”ながら、これまでに訪れた国は103カ国にのぼります。なぜこんなにも旅を続けるのか。旅がもつ魅力についてお話いただきました。
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sasaru kozee
原宿生まれ原宿育ち。ダンスを通じてNYで生活したのがキッカケで海外へ興味を持ち、2014年2月から世界一周の旅へ。旅中に自身の心に「SASARU=刺さる」場所、人、食べ物などに自らがピン(Google Mapのピンのイメージ)になり、実際に頭から刺さってマーキングする「SASARU project〜地球の刺さり方」で3年をかけ100カ国を訪問。旅の様子はSNSで展開。全国で写真展や講演、旅行雑誌のコラムを手掛け著書「SASARU 地球の刺さり方」をA-worksより出版。Google Android TV CM「一生分の写真」に出演。現在は東京と宮古島の2拠点生活を送っている。
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街の顔を知る
子ども時代は海外への興味はまったくなかったですね。僕は東京の原宿生まれで、高校生のときに初めて、生まれた街を出て県外に進学したんです。それまでは原宿という街が、外からどう見られているかまったく知らなかった。でも初日で友達が100人できるような経験をして。原宿という街に興味をもった人が会いに来てくれたのですが、初めて街に「カルチャー」があることを知りました。そんな僕が、海外に興味をもつようになったきっかけは音楽。ダンスをやっていたのでヒップホップを聴くようになって、「こんな世界があるんだ」と。本を読んだりしてそのカルチャーにふれる中で、僕と世界がつながり始めました。
ニューヨークへの憧れ
ダンスをはじめた当初から、うまくないながらも「ダンスカルチャーはニューヨークだ」と思っていました。後々調べたら、実はそのときのトレンドは全然ニューヨークじゃなかったのですが(笑)、高校卒業後の進路を渡米と決め、大学には行かずにダンスを学びながら、コツコツアルバイトをしていました。当時の航空券はとても高く、バイト代の貯金では生活していく見通しも立てにくい状態に悩みつつも、憧れに向かって進んでいました。しかし、その年(2001年)の9月に、アメリカ同時多発テロ事件が起こり、世界に激震が走りました。そのときの僕は、とにかくずっとニューヨークに行くことだけを考えていたのでとても他人事ではなく、海外のことだとは思えないぐらい衝撃を受けました。
この状況では、”ニューヨークに行く”という夢は叶えられないのかと思いつつも、諦めきれず航空券の値段だけはずっとチェックしていました。しかし、9.11後しばらくすると、奇跡的な値段の航空券が出始めたのです。怖いもの知らずの10代だったし、今後の情勢なども大して考慮せず、「今しかニューヨークには行けない」と、住む場所や航空券を手配して、単身でニューヨークに飛び込みました。思い立ったら早かったですね(笑)。
旅は人を育てる
僕にとっての初めての海外生活がニューヨーク。良いことも悪いこともいろいろあり、”映画の中に入った”みたいな感覚で、日々ドラマチックでした。なにより、「誰も僕のことを知らない」という環境が心地良かったです。これは、その後も旅をしていると感じることなのですが、肩書や周りの評価に囚われないで、そのときの自分で過ごせる時間は人を成長させますね。最初の渡米の際も、本当に細い縁を手繰り寄せて、老舗のダンススタジオを教えてもらったり、ダンサーを紹介してもらったり。限られた期間で、結果を残したかったこともあり、今だったらできないだろうなと思うくらいがむしゃらに生活をしていました。
実際に訪れてみることの大切さ
僕がニューヨークで生活をはじめたのは9.11から2ヶ月後くらい。まだ現場は燃えていて、ずっと放水活動をしていました。当時、ニューヨークの「地下鉄には絶対に乗るな」などと言われていましたが、事件後なこともあり、警察官がたくさんいて全く危険な感じはしませんでした。前から住んでいた人たちは「むしろ治安が良くなった」とも言っていました。日本で海外情勢を聞いたとしても、人びとの生活にどれくらい影響を及ぼしているか、で見てみると案外関係ないことが多かったり。一概には言えませんが、実際に現地にいくと日本に入ってきている情報と違うな、と感じることの方が圧倒的に多いですね。誰のフィルターも通さずに、自分で考えることの大切さを実際に各地を訪れることで感じます。
共感を生むのは言葉だけじゃない
渡米した当初は英語は全く話せませんでした。言葉でのコミュニケーションが取れない僕が練習場所に行くと、「アジア人が来たな」程度の扱いでした。でもダンスをはじめると、動きで覚えてもらえて。翌週も行くと、僕のダンスを見て「あいつ先週も来てたな」と。それからあっという間に、周りと仲良くなれましたね。その後世界各国に行ったときにも、別に特別なショーをするのではなくとも、例えばその国の音楽が流れているときにリズムに乗って、ダンスをすると相手がとても喜んでくれて、打ち解けられた経験がたくさんありました。日本ではなかなかない価値観ですが、身体ひとつあれば、ダンスというカルチャーを通じて世界中の人と”会話”ができました。
ダンスの思い出が強いところは、その後の旅で訪れたアフリカのエチオピアです。そこで見たダンスは、衝撃的でした。型にはまったところが全くなく、かっこよくて、身体の動かし方ひとつとっても、「人の肩甲骨ってこんなに動くんだ!?」みたいな。最初こそ戸惑いましたが、もちろん僕も一緒に踊ることで、すぐに仲良くなれました。ダンスって、大会があってナンバーワンを決めることもあるけど、基本はオンリーワンの世界。言葉も文化も違う国境を越えた中で、自分を表現して、周りに理解してもらえることって素敵ですよね。先日、はじめて乗船したピースボートクルーズ中にも、ニュージーランドから乗船した子たちがダンスしているのを見て、日本の子たちもちょっとノリで踊って、笑い合っているのを見て改めてそう思いました。
後編はこちら
旅を続ける中で、自分自身が大きく変化した感じたと語るkozeeさん。旅の中でつらい経験を乗り越えたときには、いかに周りに支えられていたのかと具体的に感じられたと語ります。
また、旅のスペシャリストであるkozeeさんの、はじめての長期クルーズでの旅となったピースボートクルーズの乗船についてもお話いただきます。
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