バイキングの大航海時代-航海作家が選ぶ歴史航海-
北ヨーロッパの歴史に大きな影響を残したバイキングたち。知られざるその壮大な歴史を、ピースボートクルーズでゆく航路をなぞり、航海作家カナマルトモヨシさんが旅します。
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文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。
バイキングの大航海を生んだ中世温暖期
北欧に暮らしていたノルマン人は造船や航海術にたけ、別名「バイキング」と呼ばれた。中世の西欧や地中海そして現在のロシア黒海沿岸さらに中東まで移動し、時には海賊行為をともなう交易を行ない、一部はその土地に定住した。彼らはなぜ大移動したのか。それは中世温暖期と呼ばれる気候変動が原因とも言われる。9世紀に始まった欧州の高温化で北欧の土地の生産性が上がったが、出生率もそれ以上に高まったことで新天地へ進出したという。そして大気と海面の温度が上昇し、海氷が減ったことで、バイキングの遠方までの航海も可能になった。それでは私たちもバイキングの大航海時代をたどる船旅に出よう。
バイキング由来の地ノルマンディー
フランスの寄港地「ル・アーブル」はノルマンディー地方の港町。そしてノルマンディーの人たちのことを現在もノルマン人(Normand)と呼ぶ。これは「北方の人」を指す古ノルド(古北欧)語に由来する。バイキングのフランス侵攻は、10世紀になるとパリを包囲するにいたった。911年、バイキングの首領ロロはこれ以上襲撃しない見返りとして、国王によってセーヌ川流域に領土を封じられた。これがノルマンディー公国の始まりだ。セーヌ河口にある港町オンフルールはフランス語でHonfleurと書く。Honは古ノルド語で「角(つの)」。一説によると、角のある兜をつけているバイキングが起源とも言われる。
ノルマン・コンクェストをたどるテムズの旅
1066年、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドに侵攻し、これを征服(ノルマン・コンクェスト)。ウェストミンスター寺院で征服王ウィリアム1世として王位に就いた。以来、2人を除くすべてのイギリス歴代王が、ここで戴冠式を行っている。1078年、征服王はロンドンを外敵から守るために難攻不落の要塞の建設を命じた。それがロンドン塔である。ティルベリーに寄港したパシフィック・ワールド号の乗客は、ボートでテムズ川をさかのぼってロンドンへ。右手にロンドン塔を見ながら、ウェストミンスターに着く。それはノルマン・コンクェストをたどる世界遺産めぐりクルーズでもある。
サッカーの起源はバイキングの首蹴り?!
テムズ川をさかのぼるボートは、その晩にサッカーの欧州チャンピオンズリーグ決勝戦が開催されるロンドンに入った。ノルマン・コンクェスト以前、イングランドはデンマークのバイキング・デーン人の侵略に悩まされていた。当時の伝説によると、バイキングとの戦いに勝利したイングランド人はデーン人の王の首を落として頭をボールにして蹴り合ったという。それが後に「モブフットボール」という祭りとなって広まるが、参加者が暴徒化し破壊を行ったのでたびたび禁止された。今や世界的人気を誇るサッカーの「母国」と言われるイングランドだが、そのルーツと歩みは実に物騒なものだったようだ。
あの人気漫画はバイキングのアニメから
角のついた兜と毛皮のベスト。一般的なバイキングのイメージだが、当時のバイキングの遺跡からは、実際にこのような兜は見つかっていないらしい。スウェーデンの児童文学を日独共同制作でテレビアニメ化した『小さなバイキングビッケ』は、日本では1974~75年にフジテレビ系で放映された。主人公のビッケのように「角のついた兜をかぶる」というバイキング観が、同作によって日本にも定着したようだ。しかし、漫画家の尾田栄一郎さん(1975年~)は、ビッケがきっかけで海賊ファンに。そして海賊を題材とした大ヒット作『ONE PIECE』を生み出したのだ。
日本の食べ放題はなぜ「バイキング」なのか
1957年。当時の帝国ホテル社長はデンマークを旅していた時、好きなものを好きなだけ食べる北欧式ビュッフェ「スモーガスボード」と出会う。彼はこのスタイルを翌年落成する新館のレストランに導入しようと思いついた。「北欧と言えばバイキング」という連想と、このころ日比谷映画劇場で上映されていたアメリカ映画『バイキング』(1958年)での豪快な食事シーンから、新店名を『インペリアルバイキング』に決定し、オープン。帝国ホテルにならった他店がいずれも定額食べ放題を「バイキングスタイル」と表現したので、日本では「バイキング」がビュッフェを表すようになった。
コロンブスよりも先に北米大陸に到達した男
ノルウェーのバイキングは874年にアイスランドに到達し、985年には「赤毛のエイリーク」がグリーンランドに上陸した。その息子レイフ・エリクソンは父が見たという未知の土地への冒険を思い立ち、35人の仲間とともに出帆。現在のカナダ・ニューファンドランドと推定される地に至り、ブドウの地=ヴィンランドと命名した。西暦1000年のことで、1492年のコロンブスの北米大陸発見よりも約500年近くも前だ。1968年、ニューファンドランドのランス・オ・メドーでバイキングの入植地跡が発見される。こうしてバイキングの北米到達が事実であることが1000年近くたってようやく確認された。
バイキングの移動に終止符を打った小氷期
レイフ・エリクソンがやってきたヴィンランドは肥沃な土地だった。しかし、先住民との衝突のリスクも高く、バイキングはここでの永住を断念。さらに14世紀半ばごろから「小氷期」と呼ばれる地球寒冷化の時代が訪れた。これにより北大西洋の航海が困難になり、食糧事情の悪化によってバイキングのグリーンランド・北米の植民活動は失敗に終わる。定住化できなかったため彼らの北米大陸到達は忘れ去られてしまった。そしてあれほど盛んだったバイキングの大航海も終息した。いま、その海をパシフィック・ワールド号はゆく。比較的温暖な夏も、そしてオーロラが現れる寒冷期も。
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