クルーズコレクション

歴史とご縁の橋渡し-航海作家が選ぶ歴史航海-

2023年1月27日

イギリス・アイルランド

歴史とご縁の橋渡し-航海作家が選ぶ歴史航海-

豊かな魅力に彩られた街々を擁するイギリスは、ピースボートクルーズでも人気の高い行き先のひとつ。深い歴史を有し、多様な文化や民族が調和するこの国は、実は日本と、さらにはピースボートとも浅からぬ縁があります。航海作家のカナマル氏を案内役に、イギリスをめぐる歴史航海へと出かけます。

文・構成:カナマルトモヨシ(航海作家)
日本各地のみならず世界の五大陸をクルーズで訪問した経験を持つ航海作家。世界の客船を紹介する『クルーズシップ・コレクション』での執筆や雑誌『クルーズ』(海事プレス社)に連載記事やクルーズレポートを寄稿している。

歴史とご縁の橋渡し-航海作家が選ぶ歴史航海-
© PEACEBOAT

タワーブリッジをくぐって、ロンドン入港

2002年夏。一隻の客船がテムズ川をさかのぼり、ロンドンに来航した。その入港風景は驚くべきものだった。ロンドン塔のすぐそばにあることから「タワーブリッジ」と呼ばれる橋は、その壮麗な姿から「世界一有名で美しく豪華」と称される。船の通過により橋げたが上がった。タワーブリッジを客船がくぐる光景に、さしものロンドンっ子たちも目を丸くし、橋の周りにたちまち黒山の人だかりができた。その客船は当時ピースボートクルーズがチャーターしていたオリビア号。2万トン級の小型船ならではのショーだった。英国とアイルランドをめぐる歴史航海、ここから始まる。

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『荒城の月』作詞作曲コンビ、最初で最後の出会い

ロンドン市民を驚かせたオリビア号入港のちょうど100年前。1902年8月、テムズ河口のティルベリーに日本郵船の「若狭丸」が着岸した。ベルギーのアントワープを出航し、横浜へ向かう途上だった。その乗客に作曲家・滝廉太郎(1879~1903年)の名があった。肺結核のためドイツ留学を打ち切って帰国するところだった。滝を見舞いに、ロンドン留学中の詩人・土井晩翠(1871~1952年)が訪船。そしてこれが『荒城の月』作曲作詞コンビの、最初で最後の出会いとなった。横浜に到着後、滝は父の故郷・大分で療養していたが、翌年23歳の若さで亡くなったからだ。

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被災者へのメッセージは”You’ll Never Walk Alone!”

2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生。その約2時間後、リバプールFC(サッカークラブ)から被災者へのメッセージが届く。結びには”You’ll Never Walk Alone”とあった。それは当地出身のバンド、ジェリー&ザ・ペースメーカーズが1960年代初頭に英国のヒットチャート1位を獲得した曲名。これをリバプールのサポーターが応援歌として歌い継いでいる。「困難にぶつかったときでも前を向いて歩こう、きみはひとりじゃない」という歌詞への共感は欧州に広がる。震災4日後に開催されたUEFAチャンピオンズリーグでは、各会場で観客が被災者に向けて大合唱した。

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セルティックとレンジャーズの深い因縁

スコットランド最大の都市グラスゴー。この街にある2つのサッカークラブは世界でも屈指のライバル関係にある。それは両者がスコットランドの王座を毎年争っているからだけではない。レンジャーズはスコットランドやイングランドで多数派のプロテスタント系の支持を集める。一方、セルティックは19世紀にジャガイモ飢饉を逃れてきたカトリック系アイルランド移民の子孫の支持が多く、アイルランドや北アイルランドでも根強い人気を持つ。なおセルティックには2023年1月現在、6人の日本人選手が所属。こうした英国の歴史や宗教的背景とは関係なくプレー、活躍している。

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© Leslie Barrie (cc-by-sa/2.0)

あの「豪華客船」育ての親はグラスゴーに

グラスゴー市街にいたるクライド川をさかのぼると、左手にタイタン・クライドバンクが見える。1907年に世界最大(高さ46メートル)かつ初の電動カンチレバー・クレーンとして完成。これはさまざまな巨船の建造に使用され、そのなかにはクイーン・エリザベス2(QE2)もあった。1969年に世界最大の客船(6万9053トン)としてデビュー。日本でも「豪華客船」のシンボルとして抜群の知名度を誇った。その育ての親タイタンは稼働を1980年代にやめ、2007年から観光施設として公開。それを見届けるかのように翌年、QE2も引退。現在はドバイでホテルシップとなっている。

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© Endo Kazuhide

タイタニックから生還した、唯一の日本人乗客

1912年、ある客船がベルファストで竣工した。その2週間後、それは氷山との接触事故により沈没する。乗員乗客約1500人が犠牲となり、生還できたのは710人。「タイタニック」生還者には唯一の日本人乗客・細野正文(1870~1939年)の名があった。鉄道官僚だった細野はロシア・サンクトペテルブルク留学を終え、帰国のためタイタニックに乗船していたのだ。なお彼の孫はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)で世界を魅了したミュージシャン・細野晴臣さんである。沈没事故の100年後、当時の造船台の上にタイタニック・ベルファスト博物館がオープン。悲劇を現代に伝える。

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『ガリヴァー旅行記』に登場したザモスキとは?

ダブリンで生まれ、同地で生涯を閉じた作家ジョナサン・スウィフト(1667~1745年)。その代表作『ガリヴァー旅行記』では、主人公が小人国や巨人国など架空の国々を訪問する。しかしただ一つ、実在の国が登場する。それは他ならぬ日本。1709年5月21日、ガリヴァーは日本の東端の港ザモスキに着き、江戸で「日本の皇帝」に拝謁を許されたのち、ナンガサク(長崎)まで護送され帰国した。では「ザモスキ」とはどこか?ザモスキXamoschiとカンノサキKannosakiの筆記体が似ているから横須賀市の観音崎とも言われる。世界一周クルーズで横浜出航後に見える、あの岬だ。

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© Nakasuji Kota

ロンドン橋にまつわる大いなる勘違い

2002年にオリビア号がくぐったタワーブリッジ。それを「ロンドン橋」と勘違いしている人のなんと多いことか。ロンドン橋はタワーブリッジよりも少しだけテムズ川上流にある。ローマ人が46年に初めて橋を架けてから、1750年までテムズ川唯一の架橋だった。この橋を世界的に有名にしたのは童謡「ロンドン橋落ちた」。何度も落ちた(壊れた)ことから、この曲が歌われるようになった。現在の橋は、50年前の1973年に開通。その知名度とは裏腹にコンクリート製で地味なため、壮麗なタワーブリッジをロンドン橋と誤解する人が続出しているのだった。

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